姉川の戦い
姉川の戦い
「姉川の戦い」とは、1570年(永禄13年/元亀元年)6月に、近江国(現在の滋賀県)の姉川流域で起こった、「織田信長」・「徳川家康」の連合軍と、「浅井長政」・「朝倉義景」の連合軍による合戦のことです。この戦いは、天下統一を目論む織田信長と同盟を結んでいたはずの浅井長政との確執が原因。この結果、織田勢が勝利し、浅井氏・朝倉氏の両家が滅亡するきっかけとなりました。かつて姉川の戦いが繰り広げられた滋賀県長浜市の古戦場姉川古戦場をご紹介します。
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姉川の戦いの概要

織田信長は浅井長政と同盟を締結

1568年(永禄11年)は、織田信長にとっては天下統一の道半ばという頃。のちに室町幕府15代将軍となる「足利義昭」(あしかがよしあき)を伴って上洛し、中央の政治に進出しはじめていました。これにより、本拠地である岐阜から京都まで、安全に移動する道を確保することが重要となったのです。

  • 織田信長

    織田信長

  • 浅井長政

    浅井長政

そこで織田信長は、浅井長政が治める「小谷城」(現在の滋賀県長浜市)が岐阜から京都までの交通の要所と考え、浅井長政と同盟を結びたいと、妹「お市の方」(おいちのかた)を浅井長政に嫁がせます。浅井長政の勢力圏を安全に通行できれば、京都はもちろん、たびたびの上洛命令を無視している越前国(現在の福井県)の「朝倉義景」を攻めるのにも有利でした。

  • 織田信長のエピソードをはじめ、それに関係する人物や戦い(合戦)をご紹介します。

  • 浅井長政のエピソードをはじめ、それに関係する人物や戦い(合戦)をご紹介します。

  • お市の方の活躍するまでの経緯や、成し遂げた偉業などをご紹介します。

  • 織田信長のエピソードや、関連のある刀剣・日本刀をご紹介します。

浅井長政とお市の方は仲が良かった

お市の方

お市の方

お市の方は、政略結婚で浅井長政に嫁いだものの、夫婦仲は良く、2男3女に恵まれました(息子2人はお市の方の実子であるかは不明)。

娘の「茶々」(ちゃちゃ)、「」(はつ)、「」(ごう)は、それぞれ「豊臣秀吉」、「京極高次」(きょうごくたかつぐ)、「徳川秀忠」に嫁ぐことになります。

浅井長政と戦国一の美女とも言われたお市の方との関係が良好なことで、織田信長と浅井長政の同盟は強固なものになりました。

  • 淀殿(茶々)の活躍するまでの経緯や、成し遂げた偉業などをご紹介します。

  • お初(常高院)の活躍するまでの経緯や、成し遂げた偉業などをご紹介します。

  • お江(崇源院)の活躍するまでの経緯や、成し遂げた偉業などをご紹介します。

  • 豊臣秀吉のエピソードをはじめ、それに関係する人物や戦い(合戦)をご紹介します。

  • 徳川秀忠のエピソードをはじめ、それに関係する人物や戦い(合戦)をご紹介します。

  • 豊臣秀吉のエピソードや、関連のある刀剣・日本刀をご紹介します。

織田信長の朝倉攻めで浅井軍は朝倉軍に加勢

朝倉義景

朝倉義景

1570年(永禄13年/元亀元年)4月20日、京都にいた織田信長は、もともとあまり関係が良くなかった朝倉義景のいる越前国に30,000の兵を率いて進軍します。

4月25日には、「手筒山城」(天筒山城)・「金ヶ崎城」を落とし、朝倉氏の本拠地である一乗谷に迫りつつありました。

浅井長政は、織田信長が朝倉義景を攻めたことを知り、おおいに悩まされます。なぜなら浅井家と朝倉家は、古くから良好な関係を築いてきた間柄。

結局、浅井長政は同盟を結んだ織田信長ではなく、朝倉義景への加勢を決意。越前国を攻める織田信長を、背後から攻撃しました。織田信長は、北側から朝倉義景、南側から浅井長政に挟撃されて危機的な状況に陥り、「金ヶ崎の退き口」(かねがさきののきくち)と呼ばれる金ヶ崎城からの撤退を迫られます。

このとき、豊臣秀吉(当時は木下藤吉郎)は殿(しんがり)を務め、守りを固めながら4月30日の深夜に、どうにか京都にたどりつくことに成功しました。浅井軍が朝倉軍を支援したことを受け、織田信長は6月19日に浅井長政がいる湖北へと侵攻を開始。近江国と美濃国(現在の岐阜県)の国境の砦や「長比城」(たけくらじょう)を攻略しながら、浅井長政のいる小谷城に迫ったのです。

小谷城は、織田信長の進軍に備えていたため、なかなか落とせません。そこで、織田信長はいったん軍を小谷城近くの「横山城」へ移動。6月24日に横山城を包囲して、龍ヶ鼻に砦を築きました。6月28日には姉川の北側に、浅井・朝倉連合軍が約18,000人、南側に織田軍・徳川連合軍約29,000人がそろい、姉川の戦いがはじまったのです。

  • 朝倉家の来歴をはじめ、ゆかりの武具などを紹介します。

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姉川の戦いで浅井・朝倉両軍が敗退

姉川

姉川

姉川の戦いは、多くの血が流れる激しい戦となりました。浅井長政が本陣を置いた場所の南側を流れる川は「血川」、朝倉軍と徳川軍が向かい合った中間地点には「血原」(ちはら)という地名が残っています。

1570年(永禄13年/元亀元年)6月28日未明からはじまった姉川の戦いは、当初浅井・朝倉軍が優勢。

しかし、徳川軍が姉川を西側から回り込んで渡り、朝倉軍に攻め入ったことで大きく形勢が逆転し、朝倉軍の不利な状況で攻め込まれました。

浅井軍と織田軍の戦闘でも、一部の部隊が織田軍の軍勢へと深く進攻。13段構えの陣が11段まで突破されたのです。しかし、こちらでも横山城の監視にあたっていた織田側の軍勢が戦闘に加勢したところで、浅井軍が不利な状況に追い込まれました。

浅井・朝倉連合軍は、大きく兵を失い、小谷城のある北へ退くことに。その後、織田信長は小谷城の城下町に火を放ち、豊臣秀吉に横山城を守らせつつ、7月6日に京都へ戻りました。姉川の戦いでは、両軍とも多くの犠牲者を出し、双方合わせて死者は約2,500人。多くの兵が犠牲になった戦いと言えます。

姉川の戦いののち浅井家、朝倉家は滅亡

姉川の戦い後も、織田信長と浅井長政は何度か戦いを交えました。

  • 1570年(元亀元年):志賀の陣
  • 1571年(元亀2年):箕浦表の合戦
  • 1572年(元亀3年):北近江で織田信長と交戦

特に、「志賀の陣」では浅井・朝倉連合軍が、もとから良好な関係を築いていた「比叡山延暦寺」に逃げ込んだところを、織田信長が追撃。延暦寺が浅井・朝倉連合軍をかくまったことで織田信長の怒りを買い、翌年1571年(元亀2年)には延暦寺が焼き討ちにあいました。

1573年(天正元年)に小谷城周辺の城が織田信長に征服されたのち、織田信長に居城の一乗谷を3日3晩に渡り攻められた朝倉義景が自害。その後、朝倉家の血脈は途絶えました。

完全に孤立した浅井長政にも織田信長は攻撃を緩めることなく、1573年(天正元年)9月1日に浅井長政が小谷城内で自害したことで、浅井家も滅亡するに至ったのです。

武将達が戦った比叡山焼き討ちの古戦場をご紹介!

姉川の戦いの古戦場

姉川古戦場

姉川古戦場

姉川古戦場

姉川の戦いが行なわれた合戦場は、現在の滋賀県長浜市野村町にあります。

史跡観光地「姉川古戦場」として整備されており、最寄り駅はJR北陸本線「長浜駅」で、湖国バスの「野村橋バス停」下車すぐの場所。車の場合は、北陸自動車道長浜ICから約10分です。姉川古戦場には、合戦で倒れた約2,500人の兵士を弔う慰霊碑があります。

姉川に架かる野村橋は、両軍が川を中心に向かい合った様子が想像できる、開けた見晴らしの良い場所です。

姉川古戦場の付近には血原、「血川橋」(ちかわばし)という地名があります。「血原公園」がある血原地区には朝倉軍が、対岸には徳川軍が本陣を置いていました。

茶臼山古墳(龍ヶ鼻砦)

滋賀県長浜市東上坂町にある「茶臼山古墳」(ちゃうすやまこふん)は、自然の地形を利用した前方後円墳です。JR北陸本線・長浜駅からは湖国バスに乗り「今荘橋バス停」を下車し、徒歩約5分、北陸自動車道長浜ICからは車で約5分です。

織田信長と徳川家康が横山城を攻める際に本陣が置かれたため、「龍ヶ鼻砦」(たつがはなとりで)とも呼ばれます。

横山城跡

滋賀県長浜市石田町にある横山城は、姉川の戦いのあとに織田信長が浅井長政のいる小谷城を攻める際の拠点になっていました。「横山城跡」には、尾根や谷沿いに城の遺構である郭(くるわ)や多くの砦が残っています。

JR北陸本線・長浜駅からは湖国バスに乗り「石田バス停」で下車。北陸自動車道長浜ICからは車で約10分の場所です。

小谷城跡

小谷城跡 展望所

小谷城跡 展望所

「小谷城跡」は、滋賀県長浜市湖北町伊部の小谷山にあります。標高495.1mの急峻な山で、浅井家が3代に渡り居城とした場所。琵琶湖や湖北の地が一望できます。

近隣に「小谷城戦国歴史資料館」があり、山城としての小谷城の魅力や、3代栄えた浅井家の歴史、浅井家を巡る人々について深く知ることができます。

金ヶ崎城跡

史跡金ヶ崎城跡

史跡金ヶ崎城跡

福井県敦賀市金ヶ崎町の「金ヶ崎城跡」は、金ヶ崎の退き口の舞台となった場所です。小高い丘で日本海の敦賀湾が良く見わたせ、整備されたウォーキングコースも楽しめます。

JR「敦賀駅」からは、「ぐるっと敦賀周遊バス」に乗り「金崎宮バス停」を下車。北陸自動車道敦賀ICからは車で約10分です。

姉川古戦場の写真一覧

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  • 姉川古戦場跡地です。
    姉川古戦場跡地です。
  • 姉川古戦場にある石碑です。
    姉川古戦場にある石碑です。
  • 姉川古戦場石碑の全景です。
    姉川古戦場石碑の全景です。
  • 姉川古戦場の説明板です。
    姉川古戦場の説明板です。
  • 姉川古戦場の看板です。
    姉川古戦場の看板です。
  • 看板のすぐ近くに姉川があります。
    看板のすぐ近くに姉川があります。
  • 姉川の戦い跡地の案内標があります。
    姉川の戦い跡地の案内標があります。
  • 近くを流れる姉川です。
    近くを流れる姉川です。

「姉川古戦場」施設情報

「姉川古戦場」の施設情報です。「この施設の詳細を見る」ボタンからより詳しい投稿情報をご確認頂けます。

所在地 〒526-0236
滋賀県長浜市野村町
電話番号 0749-65-6521
交通アクセス JR北陸本線 「長浜駅」下車 バス15分 湖国バス野村橋下車

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駐車場 有り
入場料 無料
公式サイト -

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