歴女に人気の城下町

福岡県の城下町・柳川(柳川市)

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福岡県柳川市にある「柳川」(やながわ)は、市内に多数の川が流れていることから「水の都」としても有名な町です。この水路を整備したのは、「関ヶ原の戦い」のあとに藩主となった「田中吉政」(たなかよしまさ)。
そして、柳川にはもうひとつ、名所があります。それが「御花」(おはな)。御花は、当時の藩主「立花氏」(たちばなし)の別邸として建てられましたが、明治時代になってから木造の洋館として改築され、「九州の迎賓館」として有名です。旅好きな歴女から人気が高い城下町・柳川の歴史と魅力をご紹介します。

浪々の身となった藩主・立花宗茂

立花宗茂

立花宗茂

福岡県の南西端、水郷地帯に位置する「柳川」(やながわ)が全国から注目されるようになったのは、戦国時代のこと。

肥前国(ひぜんのくに:現在の佐賀県佐賀市)の戦国大名「龍造寺隆信」(りゅうぞうじたかのぶ)と、大友氏21代当主「大友宗麟」(おおともそうりん)や、薩摩国(さつまのくに:現在の鹿児島県)の守護大名「島津義久」(しまづよしひさ)が九州北部の覇権を巡り、鎬を削っていました。

さらに、防長(ぼうちょう)の太守(たいしゅ:国持大名の俗称)「大内義隆」(おおうちよしたか)も加わり、争奪戦を繰り広げた結果、龍造寺氏(りゅうぞうじし)が城主に納まります。

そして、1587年(天正15年)の「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)による九州平定の際の戦功により、その座は大友氏(おおともし)一族の立花氏に引き継がれました。これが「柳河藩」(やながわはん)の始まりです。

このとき、12万石の柳川城主に任じられたのは「立花宗茂」(たちばなむねしげ)。1592年(文禄元年)に起こった「文禄の役」(ぶんろくのえき)と、5年後の「慶長の役」(けいちょうのえき)では、「加藤清正」(かとうきよまさ)と共に活躍した武将として知られています。

1600年(慶長5年)の「関ヶ原の戦い」(せきがはらのたたかい)では、西軍に属して鍋島氏(なべしまし)と戦い、戦況が泥沼化したところに加藤清正が調停し、籠城していた立花宗茂は柳川城の開城を決意。加藤清正の助力で窮地を脱した立花宗茂でしたが、そのあと、浪々の身となってしまいました。

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水郷の城下町を開拓した藩主・田中吉政

立花宗茂に代わり新たな柳川城主として入封したのは、三河国(みかわのくに:現在の愛知県東部)「岡崎城」(おかざきじょう)の城主「田中吉政」(たなかよしまさ)。関ヶ原の戦いの折に、西軍に就いた「石田三成」(いしだみつなり)を捕らえた戦功が「徳川家康」(とくがわいえやす)によって評価されたため、藩主に任命されたのです。

柳川に入った田中吉政は、すぐに城郭整備を開始します。そして、柳川城の天守閣として、高さ約48mの5層、八棟造り(やつむねづくり)の複雑な構造の本城を新たに増築。

これは、オランダのお城の形式に倣ったとも言われ、各階には、金彩と極彩色で描かれた襖絵を設(しつら)えました。しかし、天守は1872年(明治5年)の火災で焼失。なお、お城の様子は1791年(寛政3年)に描かれた「御城御絵図」に残されています。

御城御絵図によれば、本丸御殿の南西隅に5層の天守がそびえ、本丸と二の丸は幅の広い堀で囲まれており、三の丸には重臣達の屋敷や御厨(みくりや:古代・中世、供御・供祭用の魚介類・果物類を調進するために設けられた所領のこと)を配置。そして、二の丸につながる欄干橋(らんかんばし:橋に木のてすりのついた橋)が架けられていました。

お城の周りの水路には、万が一のときに矢部川の堰(せき)を切って落とせば、水路から水が溢れて水城になると言う、お城を守るための仕掛けを整備。

また、有明海沿岸では、30km以上にも及ぶ築堤工事を行ない、領内の筑後川や矢部川と水路を結ぶことで、湿地帯だった土地の水捌けを促して畑に変え、雑草地には適度な水を注いで水田を開拓。水路建設のために掘った土も、家屋の盛り土として再利用するなど、これらの干拓事業は、のちの藩主達にも受け継がれて、江戸時代が幕を閉じるまでに2,540町が整備されました。

先人の知恵の結晶でもある水路は、1965年(昭和40年)頃まで生活用水として活用され、現代では重要な歴史遺産として、また観光資源として訪れる人を楽しませています。

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立花宗茂、柳川に舞い戻る

柳川の城下町建設に大きな功績を残した田中吉政でしたが、後継者の息子達が相次いで亡くなり、わずか20年間の治世を経て、田中氏は断絶してしまいました。

その一方で、関ヶ原の戦い直後の1600年(慶長5年)に柳川を去った立花宗茂のもとには、それでもなお、忠義を誓う家臣が多数付きしたがい、大坂京都、遠く江戸にも同行したと言います。立花宗茂は、義理堅く、人柄の良い君主だったために家臣から慕われていたのです。

本多忠勝

本多忠勝

そして、柳川城開城の際に仲立ちとして力を貸してくれた加藤清正のような人物が、浪々の身になった立花宗茂の前に現れます。

それは、徳川四天王のひとりで歴女からも人気が高い「本多忠勝」(ほんだただかつ)。

本多忠勝の推挙を受けた立花宗茂は、将軍・徳川家康への謁見が叶い、1604年(慶長9年)に、書院番頭を任ぜられて5,000石を与えられました。

そして、奥州の「棚倉城」(たなぐらじょう)城主を経て、柳川城に再封。これは非常に稀なことで、一度失った領地を同一人物が回復した例は、立花宗茂以外にありません。

そののち、立花宗茂は棚倉城から仕えた家臣に加えて、かつての家臣達を復活させ、藩の体制を整えると養子に迎えた「立花忠茂」(たちばなただしげ)と共に「島原の乱」を制圧します。立花宗茂から藩主を引き継いだ立花忠茂は武芸を奨励し、朱子学者の「安東省庵」(あんどうせいあん)を登用して、文教の向上にも尽力しました。

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柳河藩のその後

幕末の柳河藩は、文教を充実させると同時に、産業政策にも力を入れています。その目玉となった政策は「鼎足運転之法」(ていそくうんてんのほう)と言う、現代にも通じる先進的なものでした。

それは、藩が10万両の藩札を発行して御用商人達に配り、商人達は全国の産物を買い付けて長崎へ送り、その交易で得た利潤を柳河藩の会所に納める政策。つまり、藩札・産物・現金が「鼎」(かなえ)、つまり3本の脚となって好循環を起こしながら藩の財政を支えたのです。

明治維新が間近に迫ると兵制改革にも着手し、「奥羽征伐」、「長州征伐」でも、柳河藩は武功を立てています。早い段階から柳河藩は、公武合体の立場に立っていたことから、藩内で大きな争いは起こりませんでした。「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)では、新政府軍に属して「会津戦争」(あいづせんそう)に参戦。

その功により賞典5,000石を下賜され、1869年(明治2年)の「版籍奉還」(はんせきほうかん)で「立花家」(たちばなけ)は華族に列することとなり、1884年(明治17年)には、伯爵の爵位を与えられます。

柳川城下を巡る

水の都と呼ばれる柳川には、江戸時代に整備された水路が歴史遺産として残っており、現在も、川下りなどの観光資源として訪れる人々を楽しませています。そんな柳川のおすすめ観光スポットを観ていきましょう。

城下一の名所 立花氏邸宅

松濤園

松濤園

柳川城下で一番の名所と言えば、「立花氏邸宅」。

この立花氏邸宅は、柳川城南西隅にあった「御花畠」(おはなばたけ)と呼ばれていた場所に柳河藩5代藩主「立花貞俶」(たちばなさだよし)が築いた別邸です。

この別邸の中心に存在するのは、「松濤園」(しょうとうえん)と名付けられた7,000坪もある広大な庭園。明治時代に入ってから造られた近代庭園で、大きな池の周りには、280本もの松が植えられています。

敷地内には、歴代藩主の甲冑や調度品を展示した「立花家史料館」の他、明治時代に迎賓館として建てられた「西洋館」、立花氏の家族が居室として使用していた部屋をそのまま個室に利用している料亭「集景亭」(しゅうけいてい)などがあり、和洋折衷の空間が広がる、歴女にも人気の観光名所です。

柳川城跡

柳川城跡

柳川城跡

室町時代の永禄年間に、水の利を活かして作られた柳川城。最初に築城したのは、筑後の名族「蒲地鑑盛」(かまちあきもり)。

江戸時代に藩主となった田中吉政らが手を加え、周囲に水路を張り巡らせた要塞として機能しました。

300余年の歴史を持っていた柳川城は、1872年(明治5年)に、原因不明の出火により焼失。

現在では、城堀の四隅に建てられた標石と石垣が「柳川城跡」として残されているのみですが、柳川の成り立ちを知る上で貴重な遺構となっています。

どんこ舟で堀巡り

堀巡り

堀巡り

船頭さんの軽妙な語りと舟唄、竿さばきを楽しみながら、どんこ舟に乗って城下を縦横に走る堀割をひと巡り。

岸辺に咲く四季折々の花や、レンガ造りの「並倉」(たびらい)が水面に映る風景に心が癒やされます。

冬場は期間限定で「こたつ舟」が、夏の夜には「柳川灯り舟」が運行。

30,000本もの花菖蒲が水路を彩る5月後半から6月上旬の川下りも格別です。陸に降りてから、川下りで見た建物や橋を見学すると、新たな一面を観ることもできます。

北原白秋生家

北原白秋記念館

北原白秋記念館

1885年(明治18年)に海産物問屋を営んでいた詩人「北原白秋」(きたはらはくしゅう)の生家は、父の代で酒造業を営むようになりました。

当時の北原邸は、1町3反の広大な敷地のなかに立派な母屋と堀割があったと言われていますが、1901年(明治34年)の大火災によって建物の大半を焼失。

現在の建物は、1969年(昭和44年)に復元された物で、母屋に附属していた隠居部屋も1989年(平成元年)に復元されました。

建物内部では、北原白秋の著書や貴重な遺品を収蔵・展示。また、敷地の一隅には、1985年(昭和60年)に北原白秋生誕100年を記念して建てられた、なまこ壁の「北原白秋記念館」が点在。こちらでも、水郷柳川の民俗資料や北原白秋の詩集など、見応えのある資料があり、柳川の歴史を知ることができる観光地として文学好きな歴女にも人気です。

三柱神社

三柱神社」(みはしらじんじゃ)には、西国一の強者と呼ばれた柳河藩初代藩主・立花宗茂と、その養父「立花道雪」(たちばなどうせつ:戸次[べっき]道雪とも呼ばれる)、そして、歴女から人気を集める女城主「立花誾千代」(たちばなぎんちよ:立花道雪の娘で立花宗茂の正妻)の3神が祀られています。

毎年春に開催される「桜祭り」では、300mもある直線状の参道で、馬に乗ったまま弓矢で的を射る「流鏑馬」(やぶさめ)が行なわれ、お祭りの見所のひとつです。

真勝寺

真勝寺」(しんしょうじ)は、本堂自体が田中吉政のお墓となっている寺院。田中吉政の4男「田中忠政」(たなかただまさ)が、筑後開発に尽力した偉大な父のために、遺骸を本寺院の本堂下へ埋葬し、墓所として大伽藍(だいがらん:寺院の主要な建造物)を建立したと言われています。

並倉

赤レンガの味噌蔵

赤レンガの味噌蔵

並倉は、1871年(明治3年)から現代まで続く、「鶴味噌醸造」(つるみそじょうぞう)の味噌蔵です。

柳川沿いに3棟並ぶ印象的な赤いレンガ造りの味噌蔵は、柳川の象徴的な建造物として2000年(平成12年)に、3棟がそれぞれ国の登録有形文化財に指定されました。

旧戸島家住宅

「旧戸島家住宅」(きゅうとしまけじゅうたく)は、柳河藩の中老「吉田兼儔」(よしだかねとも)が1828年(文政11年)に建築した住宅です。葦葺(あしぶき)2階建ての数寄屋造り(すきやづくり:茶室風の住宅)の本邸宅は、そののちに藩主であった立花氏へ献上されます。

また、個人宅としても使用されてきましたが、1957年(昭和32年)に柳川地方の武家住宅の典型例として、邸宅と庭園それぞれが県の文化財に指定されました。

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