歴女に人気の城下町

奈良県の城下町・大和郡山(大和郡山市)

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「大和郡山」(やまとこおりやま)における城下町の歴史は、戦国時代の終わり頃に「筒井順慶」(つついじゅんけい)が、「郡山城」(こおりやまじょう)を築いたことから始まります。
お城と同様に、江戸時代に入ってからの藩の名称も「郡山藩」(こおりやまはん)です。大和郡山と地名が付けられたのは、1954年(昭和29年)に市制が施行されたときのこと。福島県にある「郡山市」(こおりやまし)との混同を避けるためでした。ここでは、城下町は大和郡山、城と藩は郡山でご案内します。
近年、「金魚の泳ぐ城下町」として、歴女をはじめとする観光客にも大人気の城下町・大和郡山ですが、果たして誰が金魚を泳がせたのでしょうか。そんな素朴な疑問も探りながら、大和郡山の歴史を辿っていきます。

昔は薬草園のあった村

710年(和銅3年)、「藤原京」(ふじわらきょう:現在の奈良県橿原市)から「平城京」(へいじょうきょう:現在の奈良県奈良市)に遷都される以前から、「大和郡山」(やまとこおりやま)には、「薬園荘」(やくおんのしょう)と呼ばれた薬草園があり、村が形成されていました。また、平安時代末期にあたる1162年(応保2年)に書かれた「東大寺」(とうだいじ)の文書には、郡山の地名が登場しています。

筒井順慶

筒井順慶

戦国時代になると、「松永久秀」(まつながひさひで)と命がけの攻防を繰り返した戦国大名「筒井順慶」(つついじゅんけい)が、「織田信長」(おだのぶなが)の命により、大和国(やまとのくに:現在の奈良県)の統一にあたることになりました。

筒井順慶は、1580年(天正8年)には大和郡山に入り、「明智光秀」(あけちみつひで)が着手していた城郭の整備を引き継ぎますが、1584年(天正12年)に36歳の若さで死去。

本能寺の変」(ほんのうじのへん)によって、戦国の勢力地図が変更となったこともあり、「郡山城」(こおりやまじょう)の築城は、「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)の弟「豊臣秀長」(とよとみひでなが)にバトンタッチされたのです。

寺院の石仏や墓石を石垣に転用

100万石の領主として大和郡山に入った豊臣秀長は、その規模にふさわしいお城を築こうと、前任地であった紀伊国(きいのくに:現在の和歌山県全域、及び三重県の一部)の「根来寺」(ねごろじ)から、大門を運ばせて城門にしたり、半ば強引に周辺の神社仏閣から仏石、墓石を運び、石垣に転用したりするなどして城郭の大増築を行ないました。当時の大和は、石材の乏しい地域だった事情もあったとも伝えられています。

そして、奈良やの商人を呼び寄せ、地租(ちそ:土地に対して課される租税)を免除したり、商売上の特権を与えたりして、豊臣秀長は、建物など城下町におけるハード面のみならず、城ソフトウェア構築にも手腕を振るいました。なかでも、「箱本」(はこもと)と呼ばれる町の自治制度は、町を活性化させる画期的な取り組みです。

箱本の町は、毎月当番制で治安維持や消火、伝馬(てんま:荷物などを人から人へ送るための馬)の世話にあたり、当番となっている町には、特許状の入った「朱印箱」を置き、箱本と染めた小旗を立てていました。

城下の町割りは、郡山城に近い内町(うちまち)を中心に、整然とした碁盤の目で整備されました。この内町には、13の箱本の町を含む27の町で構成され、町と町の境界には、水路が流れています。

興味深いのは、現在でも使われている町名で、「紺屋町」(こんやまち)、「鍛冶町」(かじまち)、「魚町」(うおまち)、「豆腐町」(とうふまち)など、どんな家業の人達が住んでいたのかが分かるのです。一方、「堺町」(さかいちょう)、「奈良町」(ならまち)と言うように、そこに住んでいた商人の出身地を示す町名も多く見受けられます。様々な職業と出身地の人達が混ざり合い、大和郡山の文化を育んできたのでしょう。

歴女の皆さんには、大和郡山の城下を訪れて頂き、町名を確認しながら古い町家が多く残る城下を歩くことをオススメ。そこから、先人達の暮らしぶりが見えてくるかもしれません。

城主は本当に日和見だったのか

戦国時代に郡山城の城主となった筒井順慶は、明智光秀を補佐する「与力」(よりき:有力な大名などに付きしたがう下級武士)でもありました。また、筒井順慶は明智光秀から「日和見[ひよりみ:形勢を窺い、去就を決しないこと]順慶」と不名誉なあだ名を付けられたとの逸話があります。

これは、本能寺の変のあとに起こった「山崎の戦い」(やまざきのたたかい)に際して、筒井順慶に明智光秀が何度も支援を頼んでも、なかなか決断しなかったからだと言われていますが、真偽のほどは定かではありません。

しかし、明智光秀の末路と、豊臣秀吉から大和郡山を任された筒井順慶のそのあとを引き比べると、日和見と言うよりは、慎重な人だったのではないでしょうか。

大坂防御の拠点を守る逆さ地蔵!?

筒井順慶のあとに郡山城主となった豊臣秀長は、豊臣秀吉の異父弟であり、その人柄は温厚。調整能力に優れ、戦においては勇猛果敢な一面を見せる人物として、多くの武将から頼りにされていました。

また、築城の名人として知られる「藤堂高虎」(とうどうたかとら)も、豊臣秀長を慕っていたひとり。大和郡山の城下町経営においては、箱本の制度を設けるなど、アイデアマンとしての能力も発揮しています。

さらに、筒井順慶が着手した築城を引き継いだときには、近隣の寺社にあった石仏や墓石を転用し、独特の石垣を築いています。通常の石垣とは違い、ひとつひとつの石が不規則で、表面はまるでモザイクのようです。

石垣の逆さ石仏

石垣の逆さ石仏

なかには、逆さになった石仏があったり、平城京の「羅城門跡」(らじょうもんあと/らせいもんあと)の礎石(そせき:建造物の基礎となる石)が含まれていたり、とてもユニークな構造になっています。

大和郡山の人々もこの石垣を気に入ったのでしょう。のちに奉納された石仏なども、石垣に加えられるようになったと伝えられています。

そして江戸時代に入ると、郡山城の城主は、「水野氏」(みずのし)、「松平氏」(まつだいらし)、「本多氏」(ほんだし)と言った譜代大名が務めました。彼らは、「大坂の陣」で武功を挙げた名門ばかり。「徳川家康」(とくがわいえやす)が大坂を守る拠点として、大和郡山を重要視していたことが分かります。

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文化的風土を築いた松平信之

学問や文芸の面で、大和郡山に大きな発展をもたらした藩主がいます。江戸に元禄文化が花開いた時代、大和郡山の城下にも「文運隆盛」(ぶんうんりゅうせい:芸術や文明などが繁栄し、その勢いが盛んなこと)の気運が到来しており、その当時の藩主は「松平信之」(まつだいらのぶゆき)でした。

松平信之は、その作風が少々奇抜と評価されていた、談林派(だんりんは)俳諧の総帥(そうすい:組織全体の指揮を執る人)「西山宗因」(にしやまそういん)を、何度も大和郡山に招いたり、幕府からお預かりとなっていた陽明学者「熊沢蕃山」(くまざわばんざん)を厚遇したりするなど、文化交流に熱心な藩主だったのです。

また、将軍家の側用人(そばようにん:将軍に仕え、その命令などを老中に伝達していた役職の者)だった「柳沢吉保」(やなぎさわよしやす)に、山稜調査を進言した儒学者の「細井平洲」(ほそいへいしゅう)や、本格的な地誌「大名名所記」を編纂した「林宗甫」(はやしそうほ)も、郡山藩士に名を連ねていました。郡山藩には、学者肌の藩士達が活躍できる風土が備わっていたことが窺えます。

金魚養殖を奨励

郡山藩の教育に大きな影響をもたらしたのは、1724年(享保9年)に藩主の座に就いた「柳沢吉里」(やなぎさわよしさと)です。柳沢吉里は、知性と教養に秀でた柳沢吉保の嫡男で、父の好学心を受け継いでおり、郡山藩に入ると間もなく、藩校として総稽古所を創設しました。

この気風は、家臣にも及んでいたのでしょう。柳沢吉里の家老だった「柳沢淇園」(やなぎさわきえん)は、多芸多才の人物として知られ、「南画」(なんが:中国の南宗画を起源とし、日本独自の解釈を加えた江戸時代中期以降の画派)を得意としていました。

また、下級武士の副業として、金魚の養殖を奨励したのも柳沢吉里だったと伝えられています。これは、柳沢吉里と共に、甲府から大和郡山に移った家臣が、鑑賞用の金魚を持参したことがきっかけ。そののち、金魚養殖は、大和郡山の主要産業として受け継がれ、現在でも郡山城の南部には、多くの養魚場が見られます。

赤膚焼を再興した茶人藩主

柳沢吉里の跡を継いだ「柳沢信鴻」(やなぎさわのぶとき)は「米翁」(べいおう)の俳号を持つ俳人でもあり、公用日記「幽蘭台年録」(ゆうらんだいねんろく)と、私的な日記として、「宴遊日記」(えんゆうにっき)と「松鶴日記」(しょうかくにっき)を遺しています。

これらの日記には、日々の天候が記録されていたことから、「天明の大飢饉」(てんめいのだいききん)に至るまでの、天候の変化を知る手がかりとして、後世の研究にも使われました。

また、柳沢吉里の孫にあたる「柳沢保光」(やなぎさわやすみつ)は、和歌と茶道をこよなく愛し、書家としても知られる藩主でした。当時、存亡の危機にあった「赤膚焼」(あかはだやき)と言う窯業(ようぎょう)の再興にも尽力しています。この焼き物は、豊臣秀長が奨励しており、大和郡山の鉄分を含んだ赤土によって、赤色が透けて見える独特の美しさが持ち味です。

茶人でもあった柳沢保光は、この陶器文化が衰退していく様子を見逃せなかったのでしょう。京都から陶工を招き、のちに「遠州七窯」(えんしゅうなながま)に数えられる窯へと成長させています。

幕末の1848年(弘化5年/嘉永元年)、郡山藩最後の藩主となった「柳沢保申」(やなぎさわやすのぶ)は、江戸の「東禅寺」(とうぜんじ)にあったイギリス公使館が襲撃された際、その防護にあたり、のちにイギリスのヴィクトリア女王から賞賛を受けました。

そして、廃藩置県後は知事となり、金魚養殖や教育の振興に熱心に取り組んでいます。このようにして明治以降における、大和郡山の発展を牽引(けんいん)したのです。

金魚が泳ぐ城下町を巡る

魚町、豆腐町、「塩町」(しおまち)、「雑穀町」(ざこくまち)などの町名が残る大和郡山の城下町。ここを散策すれば、奈良時代から現代までを、一気に旅する気分を味わうことが可能。大和郡山の歴史の流れを体感したい歴女の皆さんに、ぜひ足を運んで頂きたい名所を厳選してご紹介します。

郡山城跡

郡山城跡

郡山城跡

「郡山城跡」(こおりやまじょうあと)には、往時の「追手門」、「隅櫓」(すみやぐら)、「多聞櫓」(たもんやぐら)などが復元されており、天守台を支える石垣には、逆さ地蔵、羅城門の礎石などが観られます。

2017年(平成29年)には、天守台に展望施設がオープンしました。

大和郡山の城下町の向こうに観える奈良市街地や「薬師寺」の塔、若草山などの景色は爽快です。

また、石垣の補修整備に伴う発掘調査で出土した、天守礎石の実物も展示されています。歴女のなかでも「城ガール」の皆さんにオススメしたい観光スポットです。

柳澤神社

「柳澤神社」(やなぎさわじんじゃ)は、郡山城の本丸跡にあり、旧藩士らの手によって、1880年(明治13年)に建てられた神社です。ここには、江戸幕府の5代将軍「徳川綱吉」(とくがわつなよし)の側用人だった柳沢吉保が祀られています。

柳沢吉保の嫡男だった柳沢吉里以降、「柳沢氏」(やなぎさわし)が、6代にわたり郡山藩の藩主を務め、明治維新以降も知事となり、地域の発展に貢献しました。

柳沢文庫

柳沢文庫

柳沢文庫

柳沢家から寄贈された歴代藩主の書画や、郡山藩の公用記録など、数万点に及ぶ古文書などを所蔵する図書館とした「柳沢文庫」(やなぎさわぶんこ)が、郡山城の「毘沙門郭跡」(びしゃもんかくあと)にあります。

所蔵品のなかには、武家屋敷や町屋、寺社がきちんと色分けして描がれた古地図などもあり、大和郡山の歴史を知る上で役立つ、情報の宝庫です。

奈良県立民俗博物館

「大和民俗公園」(やまとみんぞくこうえん)にある「奈良県立民俗博物館」(ならけんりつみんぞくはくぶつかん)は、大和の地で時代と共に変化を続けてきた生活用具などの民俗資料が、ずらりと並ぶ博物館です。昔懐かしいかまどやアイロンの変遷など、身近に感じられる展示物に好奇心を刺激されます。

国中集落「旧吉川家」

国中集落「旧吉川家」

面積26.6ヘクタールの大和民俗公園では、江戸時代の民家15棟を「町屋集落」(まちやしゅうらく)、「国中集落」(くんなかしゅうらく:大和国の内、奈良盆地に当たる場所)、「宇陀・東山集落」(うだ・ひがしやましゅうらく)、「吉野集落」(よしのしゅうらく)の4ブロックに分けて移築復元し、国の重要文化財に指定された民家も公開。

早春の「みんぱく梅林」や初夏の「しょうぶ園」を訪れる人も多く、花の公園としても知られています。

永慶寺

永慶寺

永慶寺

柳沢家の菩提寺である「永慶寺」(えいけいじ)は、柳沢吉里が甲府から大和郡山に移封となったときに移築されました。

山門は、旧郡山城の城門を移築した物と言われ、柳沢吉里の父で徳川幕府5代将軍・徳川綱吉の側用人として活躍した柳沢吉保と、その正室「曽雌定子」(そしさだこ)の座像が納められています。

大納言塚

「大納言塚」(だいなごんづか)は、郡山城の築城と城下町建設に尽力した豊臣秀長の墓所です。豊臣秀長は、1591年(天正19年)、享年52で病没。毎年4月22日には、「大和大納言」(やまとだいなごん)と称された豊臣秀長を偲んで、「大納言祭」が盛大に行なわれます。

筒井順慶歴史公園

「筒井順慶歴史公園」(つついじゅんけいれきしこうえん)には、戦国時代を駆け抜け、大和の地を統一した郡山城主の筒井順慶の墓所があります。現在残っている「五輪塔」(ごりんとう)とその「覆堂」(おおいどう)は、国の重要文化財に指定されています。

春岳院

春岳院」(しゅんがくいん)は、豊臣秀長の菩提寺です。豊臣秀長の肖像画や御朱印箱、箱本制度の史料など、県や市の指定文化財が残されています。

箱本館「紺屋」

箱本館「紺屋」と水路

箱本館「紺屋」と水路

箱本館「紺屋」(はこもとかん[こんや])は、かつて染物屋が集まっていた紺屋町に残る商家です。

道筋の中央にある水路は、郡山城の堀の水を引いたもので、往時には染めた布や糸をこの水路で晒していました。現在は、金魚が泳ぐ川としても知られています。

また、箱本館「紺屋」では、大和郡山の金魚研究家だった、故「石田貞夫」(いしださだお)氏が集めた美術工芸品や生活用具など、約1,000点を所蔵。

金魚をテーマにしたコレクションのなかから、選りすぐりの名品を、展示替えしながら公開しています。

薬園八幡神社

薬園八幡神社

薬園八幡神社

薬園八幡神社」(やくおんはちまんじんじゃ)は、通称「やこうさん」と呼ばれる神社です。

奈良時代に薬草園があった場所に建てられ、郡山城築城の頃に、現在地に移されました。

檜皮葺(ひわだぶき)の本殿には、見事な吊り灯籠が並び、境内には、50種ほどの薬草見本園があります。

拝殿の脇でユーモラスな表情を見せる狛犬は、全国で2番目に古い像です。

源九郎稲荷神社

源九郎稲荷神社

源九郎稲荷神社

源九郎稲荷神社」(げんくろういなりじんじゃ)は、古くは日本三大稲荷のひとつに数えられたお稲荷さんです。

「源九郎」とは、「源義経」(みなもとのよしつね)が吉野に逃げたとき、側室の「静御前」(しずかごぜん)を無事に送り届けた白い狐に、感謝を込めて送ったと言われる名前です。

毎年春に開かれる「お城まつり」では、白衣に狐のお面を着けた子ども達が、このお稲荷さんから繰り出す「白狐渡御」(びゃっことぎょ)が行なわれ、町中を練り歩きます。

郡山八幡神社

「郡山八幡神社」(こおりやまはちまんじんじゃ)は、「柳八幡宮」(やなぎはちまんぐう)とも呼ばれ、室町時代に創建されたと伝わる神社です。1594年(文禄3年)に現在地に移転し、郡山城を守る八幡宮として歴代藩主が信仰しました。

この神社のもうひとつの異名は「グラブ神社」です。実は、奈良県は野球のグラブ(グローブ)生産日本一の県。もともと、武運の神様である八幡神を祀った神社であることから、野球の「サムライ」達を応援し、中古グラブを集めて洗浄したあとに、カリブの子ども達に贈る活動なども行なっています。

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