歴女に人気の城下町

静岡県の城下町・田中(藤枝市)

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静岡県藤枝市にある「田中城」。1300年代の応安年間(1368~1374年)、室町時代には存在していたという伝承が残っています。「徳川家康」とのゆかりも深く、徳川家康が人生最後の鷹狩りをした場所として歴史小説などにも登場。
田中城が誕生した頃の言い伝えから順に、城下町「田中」の歴史をひも解いていきます。

田中城の歴史

田中城

田中城

「田中城」は、典型的な平城として造られましたが、その築城について詳細は明らかになっていません。最も古い記録は、室町幕府3代将軍「足利義満」(あしかがよしみつ)の頃。

静岡県藤枝市の東部にあった「西益津」(にしましづ)という村の村誌には、こんな逸話があります。

この村の「一色左衛門尉信茂」(いっしきさえもんのじょうのぶしげ)が応安年間に郡司となり、焼津の海で観音像を拾って田中城の北にある村、「岡山」に祀ったところ、足利義満から供田(くうでん:神に供える米を作る田んぼ)を与えられました。

このことから、一色氏(いっしきし)は足利氏(あしかがし)や田中城とのかかわりが深く、田中城は元を辿ると一色氏の居館であったと言う説もあります。

武田信玄が狙いを定めた遠江の拠点

田中城が史実に登場するのは、「武田信玄」(たけだしんげん)が駿河国(するがのくに:現在の静岡県中部)へ勢力を拡大し始めた頃からです。

1570年(元亀元年)頃から、武田信玄は駿河国への進攻を考え始めます。当時、田中城は「今川義元」(いまがわよしもと)に仕える「長谷川正長」(はせがわまさなが)が守っていました。

しかし、武田信玄が田中城から8㎞ほど北にある「花沢城」(はなざわじょう)を攻め落としたことを知ると、長谷川正長は抵抗をあきらめて遠江の「徳川家康」(とくがわいえやす)の配下に入り、庇護を受けます。武田信玄は、長谷川正長が去ったあとの田中城に「馬場美濃守信房」(ばばみののかみのぶふさ)を送り込みました。

田中城復元模型

田中城復元模型

そして、田中城の縄張に手を加え、「馬出曲輪」(うまだしくるわ)を作らせます。

馬出曲輪は「三日月濠」(みかづきぼり)とも呼ばれ、城門の外側に三日月形の濠を設けてその外側に土塁を積み上げ、出撃する際には味方の軍勢を守ると同時に、敵から城門を守る役割を果たしました。

これは、戦略家として名を馳せた武田信玄ならではの築城法で、遠江攻略への決意を物語っています。

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田中城を巡る豊臣秀吉と徳川家康の争奪戦

武田信玄は、信頼のおける武将達を田中城の主に任命し、駿河国への進出を画策しましたが、武田信玄の急死や「長篠の戦い」(ながしののたたかい)での敗北が重なり、その勢いは衰退しました。「織田信長」(おだのぶなが)や徳川家康がこの機会を見逃すはずもなく、織田・徳川連合軍は甲斐国(かいのくに:現在の山梨県)への進攻を開始し、徳川家康が田中城を手中に収めたのです。

その後、「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)の差配により徳川家康は関東に移されて、田中城主も豊臣秀吉寄りの武将が務めますが、「関ヶ原の戦い」で徳川家康率いる東軍が勝利すると、田中城も再び徳川家康のもとに戻されました。

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東海道の開通で宿場町としても発展

1601年(慶長6年)、徳川家康は「酒井忠利」(さかいただとし)に田中城を与えます。酒井忠利は、徳川家康が信頼した譜代大名のひとり。これとほぼ同じ時期に東海道の22番目の宿場として「藤枝宿」を開設し、徳川家康は城下町と宿場町の都市計画を酒井忠利に任せ、東海道の守りを固めようとしました。田中藩が立藩されたのは、このときです。

酒井忠利は、徳川家康の意を受けて城の縄張を拡張します。それまでは、三の丸までだった曲輪の外側に四の丸を造り、その内側に家臣達の屋敷を整備しました。この拡張事業により田中城の総面積は、1万坪から4万坪に増えています。

また、城と藤枝宿をつなぐ700mほどの道路も整備し、道の両側には松並木が植えられました。酒井忠利の都市計画によって、藤枝は城下町と宿場町の機能が連動し、繁栄に追い風が吹き始めます。塩の産地として知られた「相良」(さがら)に続く「田沼街道」への分岐点でもあったことから、藤枝に宿泊する旅人や行商人も増え、30軒以上の旅籠(はたご:宿泊施設のこと)が軒を連ねるようになりました。

東海道五十三次 藤枝 人馬継立

東海道五十三次 藤枝 人馬継立

人や荷物を運ぶために馬を配置した「伝馬制」(てんませい)も導入され、その事務所である「問屋場」(といやば)も設けられます。

藤枝宿の他に、田中城の近くにも問屋場が置かれており、53ある東海道の宿場の中でも2ヵ所の問屋場がある宿場町は珍しい事例でした。

このことからも、藤枝宿と田中城下の賑わいぶりが想像できます。

江戸時代の代表的な100藩を治世などのエピソードをまじえて解説します。

徳川家康の死にまつわるミステリーの舞台

徳川家康

徳川家康

徳川家康は、田中城を鷹狩りの場所として好んでいました。当時、すでに将軍の座を三男の「徳川秀忠」(とくがわひでただ)に譲って駿府城(すんぷじょう)に拠点を置いており、1616年(元和2年)の正月も、田中城を訪れていたと言います。

ところが、徳川家康はその夜更けに激しい腹痛を覚え、この時の病が癒えることなく、同年4月に75歳で生涯を閉じました。

徳川家康の最期については諸説あり、ドラマや小説ではそれぞれに異なる展開が描かれています。田中城下は、想像力を刺激する歴史ミステリーの舞台でもあるのです。

田中城は出世の登竜門?

酒井忠利が川越へ移封になったのち、田中藩は駿河藩に編入されますが、1633年(寛永10年)に再び立藩しています。このときの藩主は「松平氏」(まつだいらし)、そのあとは「水野氏」(みずのし)、「北条氏」(ほうじょうし)、「西尾氏」(にしおし)、「酒井氏」(さかいし)、「土屋氏」(つちやし)など次々に藩主が変わり、その数は10家にものぼりました。藩主の在籍年数は、わずか2年。なぜ、頻繁に藩主が変わったのでしょうか。

歴史学者の間では、田中城は出世への登竜門だったのではないかと言われています。ここで成功を収めれば、「大坂城代」(将軍に代わり城を預かった役職)など重要ポストへの扉が開くと言うのです。その真偽については定かではありませんが、田中藩主を務めた10家のうち3家が大坂城代に転封となっています。

教育熱心だった藩主・本多氏

1758年(宝暦8年)に本多家(ほんだけ)が入封してからは、田中藩の政権交代も落ち着いていきます。本多家は、徳川家康の忠臣だった「本多正信」(ほんだまさのぶ)の弟「本多正重」(ほんだまさしげ)に連なる家系で、明治維新までの7代に亘って藩主を務め、その中には、江戸幕府の寺社奉行や若年寄などの重鎮に取り立てられた者もいます。

幕末の藩主は、教育に熱心な者が続き、1837年(天保8年)には「藩校日知館」(はんこうにっちかん)を設立。藩士からは、「昌平坂学問所」(しょうへいざかがくもんじょ)の教授になった「芳野金陵」(よしのきんりょう)らを輩出しました。

また、宿場や農村にも教育を広め、和算を盛んに採り入れると、村からは優秀な農家の子も現れます。そのひとりが「古谷道生」(ふるやどうせい)。藩主の勧めにより各地で和算を学び、城下に戻ってからは藩校の教授に取り立てられました。また最後の藩主となった「本多正訥」(ほんだまさもり)も「聖堂学問所」(しょうへいざかがくもんしょ)奉行を勤めています。

城下町と宿場町が溶け合う歴史と出会う

「東海道中膝栗毛」(とうかいどうちゅうひざくりげ)の登場人物になった気分で、田中城下をひと巡り。伝説の寺から由緒ある古刹(こさつ:古い寺のこと)、江戸時代の旅人達の人気スポットまで発見満載の散策が楽しめます。

大旅籠柏屋歴史資料館

大旅籠柏屋歴史資料館

大旅籠柏屋歴史資料館

現在の藤枝市には、2つの宿場町がありました。ひとつは、田中城下にある22番目の宿場町「藤枝宿」。もうひとつは、21番目の宿場町である「岡部宿」です。

岡部宿にある「柏屋」は、1825年(文政8年)に建てられました。床面積は約100坪。当時は、旅籠屋と質屋を営み、広大な田畑も保有していたと言います。現在は、資料館として公開され、貴重な資料を展示。

また、隣接地には、東海道の雰囲気が漂う門塀を再現した「岡部宿内野本陣史跡広場」が設けられており、往時の旅人気分を味わえるため、史料を観るのが好きという歴女におすすめのスポットです。

千貫堤・瀬戸染飯伝承館

1635年(寛永12年)、田中城主の水野氏が、大井川の洪水から城下を守るために築いたのが「千貫堤」(せんがんづつみ)。その建築費に千貫の大金を投じたことから、この名が付けられました。当時は、幅32m、高さ3.6m、全長500m以上もある壮大な規模を誇る堤防だったと言われています。

「瀬戸染飯」(せとそめいい)は、クチナシで黄色に染めた「おこわ」です。「十返舎一九」(じっぺんしゃいっく)の「東海道中膝栗毛」(とうかいどうちゅうひざくりげ)にも登場し、足腰を強くする名物として、旅人の人気を集めていました。

「千貫堤・瀬戸染飯伝承館」では、東海道の歴史の一端を学ぶことができるため、江戸時代に憧れを持つ歴女は必見です。

玉露の里

瓢月亭

瓢月亭

藤枝市の朝比奈地域は、京都の「宇治」、福岡の「八女」と並び称される「玉露の三大産地」のひとつです。

茶室「瓢月亭」(ひょうげつてい)では、最高級の玉露と季節の和菓子を味わいながら、日本庭園を眺めることができます。

「和」を感じることができる観光地として、歴女だけでなく外国人も多く訪れる人気のスポットです。

正定寺

「正定寺」(しょうじょうじ)は、1462年(寛正3年)に創建された浄土宗の古刹。七福神の一柱「弁財天」が祀られており、遠方から訪れる参拝者も多いお寺です。本堂の前に植えられているのは、「本願の松」。江戸時代の田中藩主だった「土岐氏」(ときし)が弁財堂を参詣していたところ、大坂城代に取り立てられて出世したことを記念し、寄進した松と言われています。

大慶寺

久遠の松

久遠の松

大慶寺」(だいけいじ)は、田中城の祈願寺。本多家が城主の時代には、藩の家老達が檀家となっていたことから「さむらい寺」とも呼ばれていました。

境内では、この寺を開いた「道円」、「妙円」夫婦が、「日蓮聖人」の説法を受け、本尊と毘沙門天を授けられたときに植えられた「久遠の松」(静岡県指定天然記念物)が立派な枝を広げています。

また、「客殿」は徳川幕府の家老を勤めた「田沼意次」(たぬまおきつぐ)の居城「相良城」(さがらじょう)の御殿を、約230年前に移築した建物です。宝物殿は、資料館になっており、田中城を上から見た絵図などが展示されています。

田中城は、別名「亀城」とも呼ばれていますが、その理由は上から見たときに、縄張が亀の甲羅のような形城をしているからです。「円形の縄張」というのは、全国的に見ても非常に珍しいと言われています。

長楽寺

「長楽寺」(ちょうらくじ)は、平安時代末期に開かれたと言われるお寺。戦国時代には、今川家(いまがわけ)と深いかかわりを持っていました。長楽寺には「青池の大蛇」の伝説が残っています。

今から800年も前のこと、この地に「粉川長楽斎」(こかわちょうらくさい)という長者が住んでおり、長者には「賀姫」(いわいひめ)という美しい娘がいました。当時、長者の家の近くには大きな池があり、池の底には大蛇が住み付いていましたが、この大蛇が賀姫に恋をしてしまったのです。

大蛇は美少年へと化け、毎日姫に会いに通いました。そして、親しくなった矢先に姫を騙して池へと引きずり込んだのです。一人娘を奪われた長者は大変怒り、大蛇を退治しました。そののち、自宅をお寺にして娘の冥福を祈ったと言われており、これが現在の長楽寺です。

また、裏山には大蛇が通ったと言われる道がある他、娘が引きずり込まれた「青池」という池も残されています。なお、青池は一時期、国道1号線の整備に伴って3分の1ほどが埋め立てられました。

そののち、2000年(平成12年)に再整備され、現在は「青池公園」として四季折々の景色が楽しめる憩いの場として地元民に親しまれています。「人外と姫の悲しい恋」という乙女心をくすぐる物語が好きな歴女は、訪れてみてはいかがでしょうか。

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