歴女に人気の城下町

大阪府の城下町・大坂(大阪市)

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現在、多くの観光客が訪れる「大阪城」(おおさかじょう)は、江戸幕府の初代将軍「徳川家康」(とくがわいえやす)が建立した「大坂城」(おおさかじょう)を復元した物。しかし、徳川家康が大坂城を造るより前、その地には「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)によって築かれた、豪華絢爛な大坂城(同名)がありました。
豊臣秀吉の天下統一後、大坂城を中心に「豊臣家」(とよとみけ)の拠点として繁栄し、江戸時代には西国の商業を担う一大都市として発展した大坂城下町。豊臣から徳川へ、時代が移り変わる中心にあった大坂城下町の歴史を振り返りながら、歴女にお薦めの観光スポットを紹介します。

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天下の象徴「大坂城」を中心に栄えた城下町の歴史

大坂の歴史を振り返ると「大坂城」(おおさかじょう)が、2つあったのはご存じでしょうか。ひとつは、「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)が築いた物。もうひとつは「徳川家康」(とくがわいえやす)が築いた物。ここでは、2つの大坂城についてその歴史と共にご紹介していきます。

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なぜ、豊臣秀吉は大坂に城を築いたのか?

豊臣秀吉

豊臣秀吉

1583年(天正11年)に大坂城が築かれた土地は、当時、摂津国東成郡生玉荘大坂(せっつのくにひがしなりごおりいくたましょうおおさか:現在の大阪城付近)という地名でした。

大坂という名前は、1496年(明応5年)に、本願寺派8世宗主「蓮如」(れんにょ)が、居所とする「大坂御堂」(おおさかみどう)を建てたことから広まったと言われています。

そののち、1533年(天文2年)頃から大坂御堂は、「石山本願寺」(いしやまほんがんじ)と呼ばれるようになりました。

本願寺派は戦国時代末期から安土桃山時代にかけて、寺院でありながら城郭のような建造物を築くほどの隆盛を極めます。

しかし、1580年(天正8年)の「石山合戦」(いしやまかっせん)で、本願寺派は「織田信長」(おだのぶなが)に敗れ、石山本願寺は焼失。織田信長はこの立地を気に入っていたため、「石山本願寺跡」(いしやまほんがんじあと)に大きな城郭を築こうと考えていたと言われています。

織田信長の死後、「賤ヶ岳の戦い」(しずがたけのたたかい)で「柴田勝家」(しばたかついえ)を破り、織田信長の後継者となった豊臣秀吉は、石山本願寺跡に大坂城を築き、豊臣政権の本拠地として城下町を形成していきました。豊臣秀吉は大坂城を、政治や経済、軍事、文化の中心とし、天下統一後の首都となるよう築いたのです。

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豪華絢爛な「豊臣大坂城」と城下町

輪郭式

輪郭式

1583年(天正11年)から始まった大坂城の築城工事は、2014年(平成26年)の大河ドラマ「軍師官兵衛」(ぐんしかんべえ)で、ファンとなった歴女も多い武将「黒田官兵衛[黒田如水/黒田孝高]」(くろだかんべえ/くろだじょすい/くろだよしたか)が、築城総奉行に就き、縄張(なわばり:城の構成を決める設計のこと)を担当して、「輪郭式」(りんかくしき)と呼ばれる平城を設計しました。

輪郭式は本丸を二の丸が囲み、さらに二の丸を三の丸などの郭が囲む形式のことで、大規模な郭の間に内・外堀が配置されています。

豊臣秀吉は、大坂城天守を市街からよく見える位置に置き、権威を示すための街路づくりを行なうよう、黒田官兵衛に指示。

こうして豊臣秀吉が築いた大坂城は、高さ約44mという前代未聞の規模を誇る巨城となりました。豊臣秀吉は大坂城を、諸大名をもてなす城として活用しています。

また、豪華な安土桃山文化を取り入れた城内や天守を、招待した大名に案内して周り、豊臣の権勢を示す手段としました。相手と深く外交をしていきたいと考えた際には、城郭の北側に位置する区画に造られた「山里丸」(やまざとまる)へ客人を誘い、自慢の茶室でを振る舞って交流を図っていたのです。

現在の大坂城下町

現在の大坂城下町

さらに豊臣秀吉は、大坂城と同時に城下町づくりにも着手し、商人や職人の町屋敷や武家屋敷の建設を始めました。

大坂城下町は、城の大手門から縦の道筋に沿って市街へ伸びる「縦町型」(竪町型)で工事を進めたのです。これは、織豊期(しょくほうき:織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握っていた時代)に多く見られた形式でした。

こうして、大坂は天下人の居城である城を中心とした縦町型の城下町として拡大し続けることになったのです。そして豊臣政権の安定と共に、多くの商人や職人が移住し、大阪城下町は商業の中心地として栄えていきました。

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豊臣家の滅亡から「徳川大坂城」へ

1598年(慶長3年)に豊臣秀吉が亡くなったあとも、大坂城下町は、多くの町人で賑わい発展を続けていましたが、1600年(慶長5年)の「関ヶ原の戦い」(せきがはらのたたかい)で、徳川家康が新たな天下人となると、政治の中心地から離れることとなります。江戸幕府開設後、「豊臣家」(とよとみけ)は220万石から65万7千石に減封され、大坂城は豊臣秀吉の跡を継いだ三男「豊臣秀頼」(とよとみひでより)の居城となりました。

しかしそのあと、江戸幕府と豊臣家の確執が生じたことによって、1614年(慶長19年)に豊臣軍と徳川率いる幕府軍による「大坂冬の陣」(おおさかふゆのじん)が勃発。この戦いの直前に、大坂城では幕府軍を迎え撃つため、本丸南東に位置する玉造門(たまつくりもん)の南方の平野部に出城が築かれました。

これが、2016年(平成28年)のNHK大河ドラマであったことで歴女にはお馴染みの「真田丸」(さなだまる)という半月形の出城です。この大坂冬の陣では、「真田幸村」(さなだゆきむら)の通称で知られる武将「真田信繫」(さなだのぶしげ)が築いた真田丸に、苦戦した徳川軍が休戦を申し出る事態となりました。

しかし、翌年の1615年(慶長20年)の「大坂夏の陣」(おおさかなつのじん)で、豊臣家は滅亡。そのあと、大坂城は廃城寸前となりました。1620年(元和6年)、江戸幕府2代将軍「徳川秀忠」(とくがわひでただ)によって「天下普請」(てんかぶしん:江戸幕府が全国の諸大名に行なわせた城郭・土木工事)が行なわれ、大坂城は江戸幕府の直轄領となります。

大坂城天下普請では、築城の名手として歴女にも知られている「藤堂高虎」(とうどうたかとら)が総奉行を務め、全体に盛り土をした上に石垣を高く積んだことから、豊臣家が築城した大坂城は、完全に地中に埋まることとなりました。

このようにして、大坂城は建造物自体も豊臣色を失い、「徳川大坂城」として生まれ変わることになります。そのため、現在観ることができる大坂城遺構は徳川大坂城時代の物で、豊臣大坂城の遺構はほとんど残っていません。

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歴女にもあまり知られていない「大坂藩」の歴史

1615年(慶長20年)の豊臣秀頼の死から、1620年(元和6年)に大坂城が幕府管轄領となるまでの5年間、実は大坂城は「大坂藩」(おおさかはん)の藩庁としても機能していました。

大坂藩は、1615年(慶長20年)に徳川家康の外孫である「松平忠明」(まつだいらただあきら)が、10万石で大坂に入封したことで成立します。大坂藩主となった松平忠明は、大坂冬の陣・夏の陣で荒廃した大坂の復旧政策を進め、城下町の復興と都市化に努めました。

幕府の天下普請に合わせて、松平忠明は1619年(元和5年)に「大和郡山藩」(やまとこおりやまはん)へ移封となりましたが、松平忠明が行なった開発事業は、そのあとも幕府によって進められたのです。わずか4年の藩主期間ではありましたが、大坂を商業都市として発展させるための基盤を築いた松平忠明は、大坂藩の名君だったと言えます。

こうして、松平忠明の移封とともに大坂藩は廃藩となり、大坂城には幕府の大坂城代(おおさかじょうだい:役人を監視する役職)・町奉行(まちぶぎょう:領内都市部の行政・司法を担当する役職)が置かれるようになったのです。そののちも、大坂城は徳川将軍家の本拠地とされることはなく、明治維新後まで、新たに藩が置かれることもありませんでした。

歴女が巡る!大坂城下町の観光スポット

ここでは、多くの観光客で賑わいを見せ、歴女にも人気のスポットである現在の大阪城と、その城下町について観ていきましょう。

まずは「おおさか」という地名の表記について。歴女ならご存じの通り、現在の「大阪」は、江戸時代までは「大坂」という表記をしていました。現在の「阪」の字が使われるようになったのは、1868年(明治元年)に、明治政府が「大阪府」(おおさかふ)を設置してからです。

「坂」の字を変えた理由として、これまでの字は、「士」(さむらい)が謀「反」を起こすと見え、政治的に悪いと考えられたから。政府による正式決定がなされ、それから現在に至るまで、大阪府を始め大阪市や大阪城も阪の字で表記が統一されているのです。

博物館として復興した観光名所「大阪城天守閣」

大坂城(大阪城)

大坂城(大阪城)

現在の大阪城は、1931年(昭和6年)に開園された「大阪城公園」(おおさかじょうこうえん)の中央にあり、城跡の71万平方メートルが国の特別史跡に指定されています。

「大阪城天守」(おおさかじょうてんしゅ)は、登録有形文化財に指定されており、大坂城公園の開園と同年の1931年(昭和6年)に、鉄骨鉄筋コンクリート構造で復興されました。

大阪城天守は、第二次世界大戦以降に各地で復興された天守の、第1号となっているのです。

現在、城内は「大阪城天守閣」(おおさかじょうてんしゅかく)という名称の博物館となっており、城ガールや歴女をはじめ、多くの観光客が賑わう人気の観光スポットとなっています。

天守を含む城の高さは54.8mで、5層8階建ての大きな城郭。歴女だけでなく大阪城公園の近くへ来た人は、その巨大な城の魅力に引き込まれることでしょう。現在の大阪城は、初層から4層までは徳川時代を模した造りですが、5層目は黒漆に金箔で虎や鶴が描かれた、豊臣時代を彷彿させる城壁となっています。

2人の天下人を感じられるような佇まいの城郭は、ぜひ歴女にじっくり見学して貰いたいポイント。また、園内には徳川時代に建てられた(やぐら)や城門、蔵など、13棟が現存しています。城好きな歴女には博物館で大阪城の詳細を学んだあと、園内をゆっくり散策してみるのがおすすめです。

大阪城天守閣
所在地:大阪府大阪市中央区大阪城1-1
公式サイト:https://www.osakacastle.net/

出世の神様!豊臣秀吉を祭る「豊国神社」

大阪城公園内の豊国神社

大阪城公園内の豊国神社

大阪城公園内の二の丸跡には、豊臣秀吉を祭神として祀っている「豊国神社」(ほうこくじんじゃ)があります。

豊国神社は、その由緒や祭神から「出世開運」や「仕事成就」の神様として知られる神社。

主祭神である豊臣秀吉の他に、豊臣秀吉の三男豊臣秀頼と、豊臣秀吉の異父弟「豊臣秀長」(とよとみひでなが)が祀られています。

豊国神社は「明治天皇」(めいじてんのう)が大阪行幸(ぎょうこう:天皇が外出すること)の際、豊臣秀吉を大阪の地に奉祀するよう命じたことが始まり。1880年(明治13年)に、京都の「豊国神社」(とよくにじんじゃ)の別社として、中之島字山崎の鼻(なかのしまあざやまざきのはな:現在の大阪市中央公会堂の地点)に建立されました。

1912年(大正元年)に中之島内に遷座され、そのあと、1945年(昭和20年)には独立した宗教法人となったことで豊国神社に改称。1961年(昭和36年)に現在地へ遷座され、以後、大阪城と合わせて、市民や観光客から親しまれる名所となりました。

豊臣秀吉像

豊臣秀吉像

歴女必見のポイントは、境内にある「豊臣秀吉像」(とよとみひでよしぞう)です。

この銅像は、もともと、1893年(明治26年)に大阪城内で建立された物でしたが、戦時中に供出(きょうしゅつ:政府の要請に応じて金品などを差し出すこと)されてしまうことに。

そののち、市民の声で再建されることが決まり、2007年(平成19年)に彫刻家「中村晋也」(なかむらしんや)氏によって、現在の豊臣秀吉像が建てられました。

豊臣秀吉ファンの歴女には、お参りのあとこの場所で記念撮影ができるのも嬉しいポイントです。歴女はもちろん、仕事運を上昇させたい男性も、日本一の出世人と呼ばれた豊臣秀吉にあやかって、出世祈願に訪れてみてはいかがでしょうか。

豊国神社
所在地:大阪府大阪市中央区大阪城2-1
公式サイト:http://www.osaka-hokokujinja.org/

大阪城公園内に建つ「石山本願寺推定地」の石碑

石山本願寺推定地

石山本願寺推定地

歴女ならば、大坂城築城のルーツでもある石山本願寺跡にも触れておきたいところ。

大阪城公園内の二の丸跡、「大阪市立修道館」(おおさかしりつしゅうどうかん)の横には、「石山本願寺推定地」(いしやまほんがんじすいていち)という石碑が建っており、かつてこの地に石山本願寺があったと考えられています。

室町時代後期から安土桃山時代にかけて石山本願寺周辺では、広大な寺内町(じないちょう:仏教寺院を中心に形成された自治集落)が形成されていました。

この寺内町が、大阪の町並みの原形になったと考えられています。石山合戦で敗れた「本願寺教団」(ほんがんじきょうだん)が退去したあと、跡地では豊臣秀吉によって大規模な工事が行なわれ、大坂城築城にあたって地形も大きく変化していったのです。

そのあと徳川家康によって、豊臣時代の建築を払拭するほどの大規模な工事が再び行なわれたため、豊臣時代の遺構と同様に、石山本願寺時代の遺構もほとんど残りませんでした。そのため、石山本願寺跡の正確な場所や伽羅跡なども、現在に至るまで分かっていませんが、古地図や発掘調査によると、石山本願寺が大坂城跡である公園内にあったことは、確実だと言われています。

1984年(昭和59年)に、大坂城京橋口北側で実施された発掘調査では、1562年の元号を表す「永禄五天」と書かれた石山本願寺時代の瓦が出土。この瓦の写真は、石山本願寺推定地の石碑の案内板で観ることができるので、歴女のみなさんは石碑と合わせてチェックしてみましょう。

黄金水と呼ばれた江戸時代の遺構「金明水井戸屋形」

金明水井戸屋形

金明水井戸屋形

大阪城内にある重要文化財のうちのひとつに、「金明水井戸屋形」(きんめいすいいどやかた)という建造物があります。

これは、大阪城小天守台に造られた井戸と、それを覆う屋形のことで、豊臣秀吉が大坂城居城中に掘った井戸ではないかと考えられてきた遺構です。

この井戸は、昭和中頃まで豊臣秀吉が水を清めるため、水底に黄金を沈めたという伝説が語られてきました。

しかし、戦後に行なわれた学術調査で、徳川時代の1624年(寛永元年)に新たに掘られた井戸だということが発覚し、豊臣時代の遺構ではないことが分かったのです。

さらに、井戸を覆う屋形は、徳川大坂城天守が竣工した1626年(寛永3年)当時の物で、1665年(寛文5年)の落雷による焼失も免れた、徳川時代初期から現存する非常に貴重な遺構であることも分かりました。

江戸時代には「黄金水」(おうごんすい)と呼ばれていたという金明水井戸と、時代を超えて井戸を守ってきた屋形。この縁起の良い大阪城遺構も、歴女として注目しておきたいスポットだと言えるでしょう。

金明水井戸
所在地:大阪府大阪市中央区大阪城1-1

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