歴女に人気の城下町

愛知県の城下町・岡崎(岡崎市)

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5万石の城下町として発展した愛知県岡崎市の「岡崎」は、東海道の宿場町としても賑わった町。歴女からの注目度も高い「徳川家康」(とくがわいえやす)は、この町の岡崎城で生まれましたが、城下の町づくりの基礎を築いたのは「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)の家臣であった「田中吉政」(たなかよしまさ)でした。
江戸時代には、代々譜代大名が統治し、その格式の高さに城下に暮らす人や、東海道を行き交う旅人達の活気が加わり、城下町である岡崎には独自の風土が形成されていったのです。

東海道を通し、街道一の橋を建設

岡崎」が城下町として発展を始めたのは、徳川家(とくがわけ)が関東へ移封されたのち、「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)の家臣だった「田中吉政」(たなかよしまさ)が入城してからのこと。1590年(天正18年)、田中吉政は城郭の拡張に着手し、城下町をぐるりと囲む総堀を整備します。城の北、東、西には総延長4.7kmの堀を造成しましたが、南側は菅生川(すごうがわ)を活用しました。

関ヶ原の戦い」のあと、徳川家の譜代大名だった本多氏(ほんだし)が城主になると、矢作川(やはぎがわ)に矢作橋を架けることで城下町に東海道が通るよう画策し、その施策は見事に成功。矢作橋の全長は374mあり、東海道で最も長い橋でした。

また、岡崎城下の東海道は、「二十七曲がり」と呼ばれる屈折の多い道で構成され、道の両側には商家が軒を連ねて活気にあふれていたと言います。

城下町の基礎を築いたのは豊臣秀吉の腹心

徳川家康」(とくがわいえやす)が誕生する以前から、岡崎は徳川家康の祖父の「松平清康」(まつだいらきよやす)が領有していました。松平清康の息子の「松平広忠」(まつだいらひろただ)や徳川家康が活躍を始めると、豊臣秀吉は徳川家康を関東に移封します。

このときの豊臣秀吉の真意については、徳川家康を警戒しての左遷説、徳川家康の実力を買っての抜擢説など、諸説ありますが、豊臣秀吉の胸の内にはその両方があり、一挙両得の方策だったのかも知れません。このような権力を巡る駆け引きについて、推理してみるのも歴史に詳しい歴女ならではの醍醐味ではないでしょうか。

そののちの岡崎には、豊臣秀吉の忠実な家臣だった田中吉政が入り、城下町の周囲に堀を整備して城下町の基礎を作りますが、関ヶ原の戦いで功を成し、その褒美として九州の久留米(現在の福岡県久留米市)に32万石を与えられて移封されました。

次に岡崎に入ったのは、徳川家康の腹心の本多氏です。そして、1617年(元和3年)には、本多氏の手によって3層3階の天守閣を完成させています。

水害や飢饉に悩まされた名君・水野氏

天守閣は完成したものの、城下町の整備はいまだ道半ばの状態でした。これを本多氏から受け継いだのが、「水野忠善」(みずのただよし)です。この水野氏も戦国時代から徳川家を支えた忠臣の一族で、徳川家康の生母である「於大の方」(おだいのかた)を出した家系としても知られています。

水野忠善は、武芸に秀でた情に厚い人物として知られ、戦などで功績を残した者や不遇な目に遭っている名門の子弟を援助し過ぎたために、藩の財政を窮地に陥らせ、領民から厳しく年貢を取り立てなければなりませんでした。

水野忠善の跡を継いだ息子の「水野忠春」(みずのただはる)は、父の時代の反省から租税の軽減などを図り、寺社奉行にも取り立てられた名君。しかし、その後も度重なる矢作川の氾濫や飢饉、凶作が続き、岡崎藩の財政は困窮を極めてしまいます。

1737年(元文2年)に藩主の座に就いた「水野忠辰」(みずのただとき)は、下層の武士から人材を登用して藩政を改革しようとしましたが、重臣達からの激しい抵抗に力尽き、心を病んでしまったとのこと。自暴自棄となって遊興(ゆうきょう:酒色に興じること)に耽った水野忠辰は、重臣達の手で座敷牢に幽閉。そのまま生涯を閉じることになり、岡崎藩の「大名押し込め事件」として語り継がれています。

時代の面影残る岡崎八丁蔵通り

時代の面影残る岡崎八丁蔵通り

さらに、1752年(宝暦2年)には、岡崎藩領にある43ヵ所の村が2ヵ月間に亘り水没してしまう水害が起こりました。

この大災害からの復旧に尽力したのが「水野忠任」(みずのただとう)です。

それから10年後、水野忠任が九州への転封を命じられたときには、水野氏の善政に賛同する城下町の人々から所替えを阻止しようと嘆願の声が上がったと言われています。

江戸時代の代表的な100藩を治世などのエピソードをまじえて解説します。

岡崎藩・浜松藩・越前藩 YouTube動画

岡崎藩・浜松藩・越前藩

苦難の歴史が育んだ城下町のたくましさ

水野氏が去ったあとの岡崎を引き継いだのは、「松平[松井]康福」(まつだいら[まつい]やすよし)でしたが、数年の在任期間で転封となり、本多氏の藩政が復活。

この本多氏は、「徳川四天王」と呼ばれた徳川家康の忠臣のひとりであった「本多平八郎忠勝」(ほんだへいはちろうただかつ)の直系の子孫で、石高は5万石でしたが10万石に匹敵する好待遇で迎えられました。

このときから明治の廃藩置県まで、本多氏の治世が続きますが、何度も矢作川の氾濫に見舞われ、苦難の歴史が続きます。その苦労と共に生き抜いた城下町と城下の人々のたくましさは、現在の岡崎にも受け継がれているのです。

徳川家康が愛したゆかりの地を巡る

徳川家康が江戸幕府を開くずっと以前の様子を探して、現代の城下町・岡崎を歩いてみませんか。歴女のみなさんなら、苦難を乗り越えてもたらされた繁栄の歴史を今も見付けることができるでしょう。そして、気になる大将軍の意外な素顔にも出会えそうです。

岡崎公園

岡崎公園

岡崎公園

城下町岡崎の旅のスタート地点は、岡崎公園。徳川家康の出世にあやかり開運の城でパワーをチャージ!

岡崎城は「開運の城」とも呼ばれています。「開運」と聞いては、歴女としては見逃す訳にはいきませんね。

岡崎城

岡崎城

岡崎城

現在の岡崎城の天守閣は、1959年(昭和34年)に復元された建物ですが、外観は往時の姿をほぼ忠実に再現。

内部は3層5階建てになっており、貴重な歴史資料が展示されています。

5階の展望室からは岡崎城下が一望でき、歴女のみなさんも天下人になった気分を味わえるでしょう。

岡崎城へ行こう!徳川家康が生まれた城
徳川家康生誕の地「岡崎城」や岡崎公園内にある家康ゆかりのスポットをご紹介。

三河武士のやかた家康館

三河武士のやかた家康館

三河武士のやかた家康館

三河武士のやかた家康館」は、岡崎公園入口近くにある資料館。

徳川家康の立身出世と、その力になった三河武士の歴史に触れることができます。

甲冑の試着や、刀剣の重さを体験できるコーナーがありますので、ぜひお試しを。

また、資料館前の広場には、徳川家康の人形が登場して能を舞う「からくり時計」があり、毎時00分と30分になると観光客の注目を集めています。和時計を愛用していたという徳川家康の姿を重ねてみてはいかがでしょう。

刀剣や甲冑を観ることができる城郭を地域別に検索できます。

東照公産湯の井戸

1542年(天文11年)12月26日、徳川家康は岡崎城内で誕生しました。そのときの産湯には、この東照公産湯(とうしょうこううぶゆ)の井戸水が使われたのです。幼名の「竹千代」(たけちよ)から大将軍へと続く出世街道の出発点として、この井戸は開運スポットになっています。

2015年(平成27年)からは、井戸の水を汲み上げ、直接水に触れることができるようになりました。歴女のみなさんも水に触れて、天下人まで昇り詰めた徳川家康の運気にあやかりましょう。

龍城神社

龍城神社

龍城神社

龍城神社」(たつきじんじゃ)も、出世や開運を願う参拝者に人気のスポット。

徳川家康が生まれる日の朝、城の上に風雲を招く金の龍が現れて、天高く昇っていったとの伝説がある神社で、岡崎城の隣に鎮座しています。

正月には江戸城の習慣に倣い、うさぎ汁が無料で振る舞われるとのことです。

徳川家康を再生させた名刹

大樹寺

大樹寺

1475年(文明7年)に開山。松平家と徳川将軍家の菩提寺。

この「大樹寺」(だいじゅじ)には、松平8代の墓や国の重要文化財となっている「冷泉為恭」(れいぜいためちか)の襖絵などが伝わり、徳川家康73歳のときの木像も祀られています。

室町時代に建てられた多宝塔(たほうとう)も重要文化財に指定されており、精緻(せいち)な彫刻の意匠などは見事。

桶狭間の戦い」(おけはざまのたたかい)に敗れた徳川家康は、ここに逃げ帰り自害を決意しますが、住職から太平の世をめざすよう教えを受け、思い留まりました。歴史家の中には、ここを「再生の寺」と呼ぶ人もいます。

法蔵寺

近藤勇首塚

近藤勇首塚

徳川家康が「竹千代君」(たけちよぎみ)と呼ばれていた幼少時代には、この「法蔵寺」(ほうぞうじ)で学問に励みました。

法蔵寺には、竹千代が愛用した硯箱(すずりばこ)や手本、机などが納められ、境内には六角堂開運勝利観音・東照権現宮などの文化財が数多く現存。

もちろん、こちらも開運スポットとして訪れたい場所のひとつです。

また、命がけで江戸幕府を守ろうとした新撰組隊長の「近藤勇」(こんどういさみ)の物と伝わる首塚が寺の裏山にひっそりと祀られています。新選組好きの歴女にとっても、穴場と言えるスポットではないでしょうか。

六所神社

六所神社

六所神社

松平家の産土神(うぶすながみ)として、徳川家康誕生のときには松平家の拝礼があったとされる神社。

かつては、「六所神社」(ろくしょじんじゃ)の石段を上るのが許されていたのは、5万石以上の大名のみでした。

本殿、拝殿、楼門などは国の重要文化財に指定。正月には宝船図が入手できる他、くじ運に御利益があると言われる宝袋などもあり、開運を願う人の参拝で賑わいます。

境内には、徳川家康の手形のレリーフがあり、自分の手を乗せると徳川家康のパワーが貰えるという開運スポットですので、歴女のみなさんも手を乗せるのをお忘れなく。また、徳川家康誕生とゆかりの深い場所であることから、安産の神様としても多くの人に親しまれています。

岡崎カクキュー八丁村

岡崎カクキュー八丁村

岡崎カクキュー八丁村

豆味噌の老舗「カクキュー」を営む早川家(はやかわけ)の祖先は「今川義元」(いまがわよしもと)の臣下であり、その子孫がこの地に住み着いて味噌屋を始めました。

かつて三河武士は、豆味噌を焼いた物を戦に持参し、それを食べて栄養を補給したとのこと。

現在、公開されている味噌蔵は、1907年(明治40年)の建造物ですが、生真面目とも言えるほどの製法や一途な伝統を目の当たりにすると、そうした逸話のひとつひとつに説得力が加わります。

資料館の横には、様々な豆味噌メニューを網羅したお食事処やカフェなども併設。歴女のみなさんも食文化と味覚から三河武士の歴史に迫ってみてはいかがでしょう。

滝山寺・滝山東照宮

滝山寺

滝山寺

滝山寺」(たきさんじ)は、岡崎市に残る最古の和式建造物で、1,300年前に開かれた古刹(こさつ:由緒ある古い寺)です。

「天武天皇」(てんむてんのう)の勅願(ちょくがん:天皇の祈願)により薬師如来が祀られ、かつては「吉祥寺」と呼ばれていました。

寺の裏には、徳川家康が再建したと言われる「日吉山王社」(ひよしさんのうしゃ)があり、聖観音、梵天、帝釈天三尊像は鎌倉時代の「運慶」(うんけい)、「湛慶」(たんけい)親子による物とされいます。このうち、聖観音像は鎌倉幕府を開いた「源頼朝」(みなもとのよりとも)の等身大で、内部に髪と歯が納められているとのことです。

そして、滝山寺の一段高い場所には、1646年(正保3年)に3代将軍「徳川家光」(とくがわいえみつ)が創建した朱塗りの「滝山東照宮」(たきさんとうしょうぐう)が建てられました。この東照宮は「日本三東照宮」のひとつに数えられ、将軍だった徳川家光や「徳川家綱」(とくがわいえつな)が寄進した名刀が納められています。

毎年旧暦の正月には、鎌倉時代から続く奇祭として知られる「滝山寺鬼祭り」の舞台にもなり、岡崎城下の人々が集まり天下泰平と五穀豊穣を祈願。この祭りは徳川家光以降、幕府の行事となりました。祭りのクライマックスでは、運慶作の面をかぶったと松明(たいまつ)が乱舞する火祭りが行なわれます。

岡崎城/三河武士のやかた家康館の紹介動画

岡崎城/三河武士のやかた家康館

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