歴女に人気の城下町

愛知県の城下町・西尾(西尾市)

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抹茶の一大生産地として知られる愛知県西尾市の西尾は、かつて三河の中心地として栄えた城下町です。「西尾城」(にしおじょう)は、1871年(明治4年)に実施された「廃藩置県」(はいはんちけん)に伴い廃城となっていましたが、1996年(平成8年)に復元され、現在は歴史公園として、歴史好きの歴女の方々にはもちろん、西尾市民を始めとする多くの人に親しまれる、憩いの場所になっています。
西尾は、かつての商家の姿が残り、時間がゆったりと流れているように感じられる町。西尾ならではのそこはかとない品格は、どんな歴史から生まれたのでしょうか。ここでは、その理由を探るため、西尾の歴史を辿っていきます。

藩主を何度も変えながらも、たくましく発展した城下町

西尾城 本丸丑寅櫓

西尾城 本丸丑寅櫓

「西尾城」(にしおじょう)の創建は、中世にまで遡ると言われていますが、遺された史料があまりに少なく、当初の姿は、いまだ解明されていません。

鎌倉時代には、三河地方の守護を任じられた「足利家」(あしかがけ)3代当主「足利義氏」(あしかがよしうじ)が、居館(きょかん:普段から住む館)を置いていたと言われています。

また、戦国時代の終わり頃には、「今川氏」(いまがわし)が、1560年(永禄3年)に起こった「桶狭間の戦い」(おけはざまのたたかい)で「織田信長」(おだのぶなが)に敗れたあと、徳川方と西尾城をめぐって攻防を繰り広げたことでも知られているのです。

今川氏を滅亡に追いやった西尾城の攻防

今川氏が、滅亡するきっかけとなった西尾城。城を攻め落とした「酒井正親」(さかいまさちか)の働きによって、「徳川家」(とくがわけ)は、三河一円を自身の勢力圏に取り込むことができました。

現在、西尾城跡に鎮座する「御劔八幡宮」(みつるぎはちまんぐう)には、1564年(永禄7年)に城主「酒井政家」(さかいまさいえ)が寄進した「鰐口」(わにぐち:神道や仏教で用いられる円形の大きな鈴)が納められており、「西尾」のが刻まれています。これが、西尾という地名が確認できる最古の使用例。一説では、額田郡(ぬかたぐん)から延びる台地の西端に位置していたことから、西尾と名付けられたとも言われています。

豊臣秀吉」(とよとみひでよし)が天下を統一すると、「徳川家康」(とくがわいえやす)の拠点は、関東へ移封。それに伴い、1590年(天正18年)には、近江国(おうみのくに:現在の滋賀県)から「田中吉政」(たなかよしまさ)が転封(てんぽう)し、西尾城の城主となりました。田中吉政は、まず城郭や武家屋敷の整備に着手。

しかし、その10年後、「関ヶ原の戦い」(せきがはらのたたかい)が勃発した1600年(慶長5年)に田中吉政は、「柳河藩」(やながわはん:現在の福岡県柳川市)へ移封となったのです。

城下町をぐるりと囲む惣構え

西尾の城下町が本格的に発展を始めるのは、関ヶ原の戦い以降のこと。江戸時代の初めには、本多氏から「松平氏」(まつだいらし)、「太田氏」(おおたし)、「井伊氏」(いいし)、「増山氏」(ましやまし)、「土井氏」(どいし)、「三浦氏」(みうらし)と、藩主が頻繁に入れ替わりましたが、このなかには、西尾城の城下町の発展に、足跡を残した武将も登場しました。

そのひとりが、1638年(寛永15年)から6年ほど藩主を務めた「太田資宗」(おおたすけむね)です。太田資宗は、「惣構え」(そうがまえ:城などの周囲を囲む外郭、及びその内部のこと)によって城下町をぐるりと取り巻く堀を築き、その外側を矢作川(やはぎがわ)と矢作古川(やはぎふるかわ)が囲む独特の都市計画を率いた藩主です。

太田資宗は、工事の完成を観ることなく転封となりましたが、それを引き継いだ「井伊直之」(いいなおゆき)が、1657年(明暦3年)に完成させています。

松平氏の登場で石高が3倍増

江戸時代中期から幕末にかけて、松平氏による藩政が続き、西尾城下に安定をもたらしました。名門の誉れ高い松平氏の入封は、西尾の藩政に格調を加え、城下町に一層の発展をもたらす、きっかけを作ったのです。

1764年(明和元年)、大坂城代に就任した「松平乗祐」(まつだいらのりすけ)が、「山形藩」(やまがたはん:現在の山形県山形市)から6万石で国替えとなり、西尾藩主の座に就きます。それまでの西尾藩は、表高が2万7,000石程度の小藩であり、松平乗祐の石高としては不足していたため、差分については「飛び地」という形で越前国(えちぜんのくに:現在の福井県北部)内の領地が与えられています。

その跡を継いだ「松平乗完」(まつだいらのりさだ)も、寺社奉行や京都所司代、老中と出生街道を歩み、「寛政の改革」(かんせいのかいかく)では、老中首座であった「松平定信」(まつだいらさだのぶ)の右腕となって活躍したのです。

その一方で、松平乗完は和歌や俳句を嗜む文化人でもありました。その教養の広さが子孫に受け継がれたのか、松平乗完の2代あとの「松平乗全」(まつだいらのりやす)は、「江戸城」(えどじょう:現在の東京都)での式典などを取り仕切る「奏者番」(そうじゃばん)を務めています。

そののち、松平乗全は大坂城代に任じられ、1845年(弘化2年)には、徳川将軍家の御世継ぎだった「徳川家定」(とくがわいえさだ)の守り役に抜擢されたのです。

ペリー来航

ペリー来航

さらに、黒船に乗ったペリーが浦賀(うらが:現在の神奈川県横須賀市東部)に来航した1853年(嘉永6年)、老中の座にあった松平乗全は、「阿部正弘」(あべまさひろ)や「牧野忠雅」(まきのただまさ)らと共に、海岸防衛を命じられています。

そののち、一度は老中から退いていましたが、その約3年後には再び老中に返り咲き、「井伊直弼」(いいなおすけ)を補佐して佐幕派(さばくは:幕末時代、幕府を支持して助けたこと)の強化に当たりました。

また松平乗全は、藩校の「修道館」(しゅうどうかん)や、医学校である「済生館」(さいせいかん)を作り、藩士の教育や医術の向上に尽力したことでも知られています。

帯刀御免の商人も出現

幕末には商業が栄え、好景気の時代を迎えていた西尾城の城下町。本町(ほんまち)や中町(なかまち)には旅籠が建ち並び、城下は大いに賑わっていました。

1864年(元治元年)の記録によれば、城下の商家で帯刀を許されていた家が10軒あったと伝えられています。これらの商家は、木綿や味噌、酒造、呉服などを商う豪商で、藩への御用金も納めていたことが記録されているのです。

この松平乗全から藩政を受け継いだのが、西尾藩最後の藩主となった「松平乗秩」(まつだいらのりつね)。松平乗秩は1866年(慶応2年)、「第二次長州征伐」で軍を編成し、大坂まで出陣しています。

しかし、1868年(慶応4年)の「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)の際には、「尾張藩」(おわりはん:現在の愛知県)の「勤王勧誘使」(きんのうかんゆうし)に説得され、官軍側に付くことを決断。東海道の先鋒隊(せんぽうたい)に加わったのです。そして明治時代に入ると、廃藩置県を機に西尾城は取り壊されてしまいました。

身分を超えた交流の風土と城下町の成り立ち

西尾城は、途中で改築もなされたようですが、現在分かっている往時の城の姿は、1585年(天正13年)、徳川家康の命令により、城主「酒井重忠」(さかいしげただ)が手がけた改築時の物です。

その当時の西尾城は、本丸、二の丸、姫の丸、北の丸、東の丸、三の丸を備えており、見晴らしの良い三重の天守がそびえていました。城下を取り巻いていた惣構えの堀のすぐ内側には、須田町(すだちょう)、本町などの町人町があり、城の北側には、武家屋敷が配されていたのです。

その武家町の隣にも、肴町(さかなまち)、中町などの町人町が置かれていました。そして、堀との境界に配されていたのは寺町(てらまち)。その外側に下級武士や足軽長屋を置いて、西尾城下を守っていたと考えられています。

そうした町のレイアウトは、武家の町と町人町の混在によって、身分を超えた緊密な交流があったことを物語っているのです。また、町のなかには農家もいたとも伝えられ、様々な身分の人々が大らかに暮らしていた様子が想像できます。これは、もともとあった集落に、あとから武家町などが作られたことがその理由。

このような歴史的背景により、西尾の城下町には特色ある風土が醸成されていきました。西尾の地では武士や町人といった身分を気にすることなく、若い頃には一緒に飲んだり、遊んだりしていたと言われており、その際、ハメを外し過ぎて、殿様の顰蹙(ひんしゅく)を買った逸話も残っています。

現在の西尾には、このような往時の城下町の名残が地名などに見られ、例えば、名鉄西尾駅前から西尾城跡に向かう道路が途中で交差するのは、「本町通り」、「中町通り」と呼ばれる、かつての町人町。また、惣構えによって城下町全体が堀によって囲まれていた小さな堀も、中心街の一角に残っているのです。そして本町を過ぎ、さらに緩やかな坂道を上っていくと、左手に西尾城跡があります。

抹茶の歴史にも出合える城下町を散策

ここからは、西尾城とその城下町の魅力を様々な角度から発見できる、西尾城跡内、及びその付近のオススメスポットを観ていくことにしましょう。

西尾市歴史公園

西尾市歴史公園

西尾市歴史公園

明治時代に廃城となってしまった西尾城でしたが、西尾城の象徴であり、高さ約10mの三重櫓「本丸丑寅櫓」(ほんまるうしとらやぐら)や、二の丸の表門に位置し、かつては真鍮の装飾が施されていた「鍮石門」(ちゅうじゃくもん)を、1996年(平成8年)に再建。

周辺の土塁や堀も復元され、現在は「西尾市歴史公園」(にしおしれきしこうえん)として整備されています。

これらの建造物には、築城当時の姿を偲ばせるほどの風格を漂わせており、松平氏が藩主だった時代の6万石の威光を感じさせる場所です。

西尾市資料館

西尾市歴史公園の一角、西尾城の姫丸跡にある「西尾市資料館」(にしおししりょうかん)は、入母屋造(いりもやづくり)で瓦葺(かわらぶき)の屋根が設けられており、西尾城の城郭を思わせる建物になっています。

西尾市資料館には、西尾城に関する絵図や藩主の書いた手紙、西尾城の二の丸御殿で実際に使用されていた杉戸などの歴史資料が収蔵され、西尾城跡内における発掘調査での出土品なども展示されています。西尾城の歴史を深く知りたい歴女の皆さんには、ぜひ訪れて頂きたいスポットです。

旧近衛邸

旧近衛邸

旧近衛邸

「近衛家」(このえけ)は、鎌倉時代初期、摂政や関白を務めていた「藤原北家」(ふじわらほっけ)から分かれた公家のひとつ。

当時、藤原北家と同様に、摂政や関白に任じられていた公家には5つの家柄があり、総称して「五摂家」(ごせっけ)と呼ばれており、そのなかでも近衛家は筆頭の家格にあったのです。

近衛家の邸宅の一部であった書院と茶室が移築されているのが「旧近衛邸」(きゅうこのえてい)。

6畳の茶室は、床框(とこがまち:床の間の前端にあり、床板や床畳の端を隠すのに用いられる化粧横木)が高く、点前座(てまえざ)の奥に床の間を配した「亭主床」(ていしゅどこ)と呼ばれる独特の構造。庭園に臨む縁側では、季節の和菓子と共にお抹茶が味わえます。

西尾の城下町の散策で疲れた歴女の皆さんが、ホッとひと息つくのにぴったりな場所ではないでしょうか。

久麻久神社

久麻久神社

久麻久神社

中世の頃、西尾の地は「吉良庄」(きらのしょう)と呼ばれていました。

これは西尾が、鉱物の雲母(きらら)の産出地であったことが、その由来だと言われています。

久麻久神社」(くまくじんじゃ)のある八ツ面山(やつおもてやま)は、その雲母産出の中心地だったのです。

久麻久神社の創建は、大宝年間(701~704年)頃と伝えられ、927年(延長5年)にまとめられた律令制の法令集「延喜式神名帳」(えんぎしきじんみょうちょう)にも、久麻久神社の名が記されています。入母屋造の本殿は、1527年(大永7年)に建てられ、軒の周りに施された美しい彫刻が印象的です。

伊文神社

「伊文神社」(いぶんじんじゃ)は、長年、西尾の城主から庶民に至るまで、城下の人々に深く信仰されてきた郷社(ごうしゃ:神社の古い社格のひとつ)。

毎年7月中旬に開催される、約400年の歴史を持つ「西尾祇園祭」(にしおぎおんまつり)では、伊文神社から御劔八幡宮まで、神輿の渡御(とぎょ:神輿が進むこと)が行なわれます。その神輿の下をくぐると、病気にならないとの言い伝えがあり、老若男女が列を作っているのです。

さらには、大名行列や天王町(てんのうまち)の「神楽獅子」(かぐらじし)などが練り歩き、年に1度のお祭りを一層盛り上げます。伊文神社では御朱印が頂けるので、集めている歴女の皆さんは、足を運んでみてはいかがでしょうか。

康全寺

1398年(応永5年)、御劔八幡宮の付近に位置していた「八幡六坊」(はちまんろくぼう)のうち、「釈迦堂」(しゃかどう)と「大日堂」(だいにちどう)を移したことが、「康全寺」(こうぜんじ)の始まりです。

その名称を「吉良山満願寺」(きらやままんがんじ:吉良山は八ツ面山の古い呼称)として、異国から来た僧侶「劫外乗空禅師」(こうがいじょうくうぜんじ)が復興した寺院。当時の領主だった「吉良氏」(きらし)も、劫外乗空禅師に帰依(きえ:高僧や神仏などを信仰し、その力を頼りにすること)していたと伝えられています。

この寺院名が改められたのは、酒井重忠が城主を務めていた1581年(天正9年)のこと。この年、徳川家康が村巡検で西尾を訪れた際、康全寺に宿泊し、徳川家康の名前から一字を賜ったとされています。

妙満寺

「妙満寺」(みょうまんじ)は、1565年(永禄8年)に創建された古刹(こさつ:由緒のある古い寺)です。もともとは、西尾城下から南東の離れた場所にありましたが、江戸時代初期の城主「本多俊次」(ほんだとしつぐ)の乳母が厚く信仰したことから、その参詣がしやすいようにと、西尾城外にある天王下(てんのうした)に移建しました。

さらに1659年(万治2年)、当時の城主「増山正利」(ましやままさとし)が妙満寺を菩提寺に定めたとき、境内を拡張するために、現在の場所に移されたのです。その境内には、西尾藩士の墓も多く見られます。

実相寺

実相寺

実相寺

実相寺」(じっそうじ)は、1271年(文永8年)当時の西尾城主で、「足利氏」(あしかがし)の系譜に連なる「吉良満氏」(きらみつうじ)によって建てられた、「東福寺」(とうふくじ:現在の京都府京都市)の末寺(まつじ:本山の支配下にある寺院)です。

実相寺の開山である「聖一国師」(しょういちこくし)は、寺院内で茶の栽培をさせたと言われており、現在の西尾市の名物である、西尾茶の発信地としての役割を果たしていました。

数多くの名僧を世に送り出したことでも知られている実相寺では、江戸時代中期には、茶園を経営していたとの記録も残っています。実相寺は、「木造釈迦三尊像」(もくぞうしゃかさんぞんぞう)や「四天王像」(してんのうぞう)など、貴重な文化財を納めた釈迦堂をはじめ、見所も満載。西尾に城ができた中世からの歴史と、実相寺と城下町の繁栄ぶりを現代に伝えています。

紅樹院

「紅樹院」(こうじゅいん)は「茶祖の寺」として知られ、本格的な製茶産業の道筋を開いた寺院。元来、徳川家康の伯母を弔うために創建されましたが、明治時代初期に、住職の「足立順道」(あだちじゅんどう)が、京都の宇治からお茶の種を取り寄せて茶園を開き、知多郡から茶師を呼び寄せて、茶の製造を始めたのです。それが西尾茶の発展に追い風をもたらし、西尾城下の西野町地区一帯に引き継がれました。

今や西尾は、日本有数の抹茶産地として名を馳せており、足立順道の功績を讃え、紅樹院の参道入口には、「頌徳碑」(しょうとくひ)が建てられています。

稲荷山茶園公園

稲荷山茶園公園

稲荷山茶園公園

稲荷山茶園公園」(いなりやまちゃえんこうえん)は、面積約100haの広々とした茶園を見渡す公園です。

茶摘みが始まる5月になると、周囲の茶畑で多くの摘み子さん達が新芽を収穫する様子を観ることが可能。

現在、西尾市で生産されている「てん茶」(石臼などで抹茶を挽く前の原材料)は、全国生産の約20%を占めています。

稲荷山茶園公園を訪れれば、抹茶王国・西尾の勢いが感じられること間違いなしです。

西尾の抹茶ミュージアム「西条園 和く和く」

抹茶ミュージアム「西条園 和く和く」(さいじょうえんわくわく)は、抹茶の歴史を学んで、その製造工程を見学できるだけでなく、茶葉のブレンドにも挑戦できる体験型博物館。見学コースによって内容は異なりますが、その締め括りに、自分で挽いた抹茶を自慢の抹茶スイーツと共に試飲できるプランもあります。

また、抹茶ミュージアム 西条園 和く和くの周辺には、抹茶メニューや抹茶スイーツが楽しめるスポットが集まっていますので、抹茶をとことん味わいたい歴女の皆さんは、城下町散策のコースに加えてみてはいかがでしょうか。

愛知県の城下町・西尾(西尾市)

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