歴女に人気の城下町

熊本県の城下町・熊本(熊本市)

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東に阿蘇山、西に遠く有明海を臨む熊本の地は、「火の国」にして全国有数の「水の国」でもあります。阿蘇山の湧き水にはじまり、町を流れる白川・坪井川の水脈を城下町づくりに利用して今日の熊本の礎を築いた人物が、「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)の腹心で歴女からの人気も高い「加藤清正」(かとうきよまさ)でした。
加藤清正は、土木事業や商業政策で優れた手腕を発揮、彼が熊本に与えた影響と発展力は計り知れません。死後400年がたった今もなお、「清正公さん」(せいしょうこうさん、せいしょこさん)という愛称で熊本の人々、そして歴女に親しまれ続けています。
そんな加藤清正公の魂が息づく熊本は、2016年(平成28年)4月に起こった熊本地震により甚大な被害を受けました。

広大な城郭にふさわしい大規模な城下町を造成

熊本城

熊本城

「日本三大名城」のひとつに数えられる熊本城を築城したのは、「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)と血縁関係にあった名将「加藤清正」(かとうきよまさ)です。

1601年(慶長6年)の着工から6年の歳月を費やして完成したその城は、周囲12kmにも及ぶ広大な敷地面積を誇る物でした。

その頃、小さな城下町はすでに形成されていたものの、上手く機能しておらず、加藤清正は新城・熊本城の大城郭にふさわしい大規模な城下町の整備・拡張を計画します。

熊本城の正面一帯には、当時は珍しいとされた武家屋敷と町人町が混在する「新町」(しんまち)を、さらにその南側には「古町」(ふるまち)と呼ばれる下町を整備。この古町には、新町との境を流れる坪井川の荷揚げ場が軒を連ね、舟運路の活発な物流の拠点となりました。

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隣国・薩摩の島津氏に備えた鉄壁の町づくり

熊本城からずっと南の隣国に広がる薩摩藩。ここを統治していたのは、鎌倉時代から続く名門「島津家」(しまづけ)でした。この強敵に対し、加藤清正は熊本城だけでなく、城下町にも徹底した防衛策を講じます。

現代にも残る区割り

現代にも残る区割り

熊本城下の新町のさらに外側に広がる古町は、碁盤目状の町割りがされ、その区画ごとに寺を設置した「一町一寺」(いっちょういちじ)の配置。

規則的な直線の通路は見通しがよく、防衛には不利なように思われますが、路地の奥には兵を潜ませる寺を設置したため、細い路地に敵兵を誘い込み、返り討ちができるようになっていたのです。

この仕組みは町のあちこちに仕掛けられ、町を守る役割を担っていました。歴女のみなさんも、実際に町を歩いてみると、加藤清正の工夫を感じることができるでしょう。

また、新町を囲うように堀を造り、堀に沿って土塁を設けたこと、外堀の要素を含む白川には、防衛のため「長六橋」(ちょうろくばし)のひとつだけしか橋を渡していなかったことなど、様々な防衛策が当時の古地図に記録されています。

さらに驚くべきは、島津家の参勤交代のルートとなっていた薩摩街道から続く豊前街道(ぶぜんかいどう)を、あえて熊本城内に通したことです。城の敷地内へ敵を誘うということは、攻略の糸口でも発見されそうなものですが、そこは逆転の発想をした加藤清正。熊本城にももちろん、城下町以上に幾重にも防衛策が張り巡らされており、その堅牢さをあえて見せ付けておくことで、抑止力へと変換したのです。

江戸時代の代表的な100藩を治世などのエピソードをまじえて解説します。

加藤清正公は土木・治水の神様

加藤清正

加藤清正

熊本城に入った加藤清正は、治水土木事業にも力を注ぎます。

当時、町を流れる白川は大きく蛇行しており、東からの坪井川と合流していました。

さらに井芹川(いせりがわ)と白川の合流により、3本の川の流路が入り乱れて川の氾濫が起こりやすくなっていたとのこと。

そこで加藤清正は、白川の蛇行部分の河道を塞き止め、流路を人工的に直線化してしまいます。さらに白川と合流していた坪井川を切り離し、内堀の坪井川、外堀の白川とそれぞれに役割を分担させ、防御機能を持たせることに成功しました。

切り離された坪井川は、下流で井芹川と合流させることによって水流が増し、阿蘇山からの火山灰土が堆積せず水深が確保されるようになります。この改修により、城下町と有明海を結ぶ物流ルートとしても重要な役割を果たしました。

加藤清正の手腕はこれにとどまらず、各地で治水や新田開発のための灌漑(かんがい:農地に外部から人工的に水を供給すること)を行ないます。なかでも水力を利用して土砂を次々に下流へ排出する「鼻ぐり」と呼ばれる灌漑システムは、現代にも続く清正の名案でした。

白川の火山灰土砂の堆積問題もこれで見事に解決し、水田の面積はおよそ25倍にも増えたと言います。さらにはこの水田のおかげで、下流の地下水が安定供給されるというたいへんな地の利をもたらしたとのこと。加藤清正公によるこの一連の土木・治水政策は今日まで至り、熊本の発展に大きく貢献したことが分かります。

加藤清正の戦いに臨む姿だけでなく、このように名案を閃かせて町のために貢献する姿も、歴女の心を掴んで離さないのですね。

明治の西南戦争による城下町の炎上

西郷隆盛

西郷隆盛

1877年(明治10年)、「西郷隆盛」(さいごうたかもり)率いる薩摩軍が熊本城へ攻め入り、「西南戦争」が起こります。

鳥羽・伏見の戦い」で幕府軍を破り、勢いに乗っていた薩摩軍は、たった3,400の百姓兵に守られる熊本城など簡単に落城すると想定していました。

しかし蓋をあけてみれば、52日もの間、猛攻撃を続けても熊本城はまったくびくともせず、結局攻め落とすことができずに終わります。

熊本城が「難攻不落の名城」と言われる所以はこのエピソードによるもので、西郷隆盛が「官軍[政府軍]に負けたのではない、加藤清正公に負けたのだ」とこぼしたというのは、よく知られた話です。

さて、このとき熊本の城下町はどうなっていたのでしょう。熊本城将「谷干城」(たにたてき)少将は、薩摩軍を迎え撃つため、焦土作戦を実行しようとしていました。まず、城内の兵達の危機感を募らせるため、あえて城に火を放ちます。突如燃え始めた天守閣、そしてその火の粉は城下町へと飛び移り、たちまち民家に燃え広がっていきました。実際のところ、城下町が燃えたのは天守閣からの飛び火による延焼だけでなく、薩摩軍に一物たりとも利用させないため、城兵達自らが何箇所にも火を付けてまわったと伝えられています。

こうして、加藤清正が苦心して造り上げた熊本城下町は、一瞬にして一面の焼け野原となってしまいました。しかし、敵の兵火ではなく自らの手で町を焼き払う結末には、百姓兵達とそれを率いた谷少将のたいへんな覚悟と気概が汲み取れます。

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清正公さんの息づかいを感じる現代の城下町

壮大な歴史に思いを馳せる歴女のみなさんは、加藤清正のどんな足跡をたどってみたいと思われるでしょうか。火の国であり水の国でもある熊本。阿蘇山の湧き水に恵まれ、水脈を城下町づくりに利用するなど、加藤清正公の優れた手腕で造り上げた城下町をご紹介します。現代に引き継がれた歴史の息吹を感じてみましょう。

四季折々、表情を変える水前寺成趣園

水前寺成趣園

水前寺成趣園

水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)は、東海道五十三次を模した、風光明媚な庭園です。

1632年(寛永9年)に、肥後細川初代藩主「細川忠利」(ほそかわただとし)がこの地に御茶屋を置いたのが始まりとされています。

そののち、阿蘇の伏流水による湧水池を中心とした桃山式の回遊式庭園が完成し、四季折々の優美な景観が楽しめるようになりました。

庭園の他にも、歴代の細川藩主を祀る「出水神社」(いずみじんじゃ)や、百薬の長として親しまれている神水「長寿の水」が湧き出すポイントもあります。すべてが写真映えするスポットであり、おすすめを絞ることはとてもできません。歴女ならではの視点でベストショットを決めてみてはいかがでしょうか。

水の都 熊本を象徴するパワースポット白川水源

熊本市内を流れる1級河川・白川の総水源です。南阿蘇村の最大規模の水源で、毎分60tもの豊かな水が湧き上がっています。その透明度はたいへん高く、池底の砂を舞い上がらせながら多量の水が湧き出す様は癒やし効果抜群で、眺めていると思わず時間を忘れてしまうほど。水源の水は、空容器などを持参すれば自由に持ち帰ることができます。歴女のみなさんも散策の合間に一息ついて、水源の水を味わってみましょう。

古くから水に対する信仰があり、水源地近くの「白川吉見神社」(しらかわよしみじんじゃ)には「みつはのめ神」という水神様が祀られています。環境省選定の「名水百選」にも名を連ねる、熊本の隠れた名スポット。

阿蘇山 火口見学は世界に誇る熊本の絶景

阿蘇山の火口

阿蘇山の火口

火の国熊本のシンボル阿蘇山は、高岳(たかだけ)、根子岳(ねこだけ)、中岳(なかたけ)、烏帽子岳(えぼしだけ)、杵島岳(きねしまだけ)の「阿蘇五岳」(あそごがく)を中心に外輪山(がいりんざん)などを含めた周囲一帯を指す、世界最大級のカルデラ。

一般に、阿蘇山とは火山活動を続ける中岳のこと。世界的にも珍しい火口見学ができるスポットとして人気を集めています。

展望台からは活火山の火口を間近で見ることができ、噴煙を上げながらエメラルドグリーンに光る湯だまりは、世界に誇る熊本の絶景。これらの火山が、長い歴史を通して人々にどんな影響を与えたのか、歴女のみなさんにとっては考えさせられるスポットです。

紀元前に創建された阿蘇の精神的支柱「阿蘇神社」

阿蘇神社

阿蘇神社

阿蘇神社(あそじんじゃ)は、創立はなんと孝霊天皇9年(紀元前282年)と伝えられる、約2,300年もの歴史を有する由緒ある神社。

全国に約500社ある阿蘇神社の総本社であり、古来より肥後国一の宮として崇敬を集めてきました。

南北にのびる横参道は全国的にも珍しく、参道の南には阿蘇山、北には「国造神社」(くにのみやつこじんじゃ)が位置しているとのこと。

一の神殿、二の神殿、三の神殿、楼門、神幸門(みゆきもん)、還御門(かんぎょもん)の6棟は国の重要文化財に指定されています。なかでも高さ18mの楼門は、九州最大の規模を誇り「日本三大楼門」のひとつとも言われていました。

2016年(平成28年)の熊本地震により、この楼門は残念ながら全壊し、拝殿など重要文化財以外の社殿についても甚大な被害を受けました。周辺地域と比べて阿蘇神社の被害は特に大きく、地元では「神社が犠牲になって自分達をお守り下さった」という声も上がっています。

大観峰の神秘的な雲海は息をのむほどの美しさ

大観峰

大観峰

標高936mに位置する天然の展望台「大観峰」(だいかんぽう)は、阿蘇五岳を一望できる絶好のビュースポット。

もとは「遠見ヶ鼻」(とおみがはま)と呼ばれていましたが、この地を訪れた明治のジャーナリスト「徳富蘇峰」(とくとみそほう)が眺望の素晴らしさに感動して、この名を付けたと伝えられています。

加藤清正も、この眺めに感銘を受けたのでしょうか。歴女ならずとも気になるところです。

また、気候条件が揃うと雲海が見られることでも有名。

大観峰から見る阿蘇五岳は、まるでお釈迦様の寝姿のようにも見え、「雲海に浮かぶ涅槃像」の光景はさらに神秘的で、息をのむほどの美しさだと言われます。

加藤清正が愛した伝統銘菓「朝鮮飴」

熊本最古の由緒正しい伝統銘菓の朝鮮飴を代々作り続ける「園田屋」(そのだや)は、安土桃山時代創業の老舗菓子屋。初代の頃は「長生飴」(ちょうせいあめ)と命名されており、加藤清正が朝鮮出兵の折にこれを携行し、日持ちするうえに疲弊した兵士が元気になったと、加藤清正は「天下一の保存食」と絶賛しました。

このエピソードをきっかけに朝鮮飴と改称し、廃藩置県まで城中の買い上げが続いたとのこと。参勤交代時の献上品リストにも名を連ね、朝廷や幕府への土産品としても重宝されたと言います。

もち米、水飴、砂糖を原材料とし、400年余りもの間、その製法は守られ続けています。お餅のような食感と素朴な甘さが人気を集め、郷土色豊かな熊本土産として喜ばれている伝統銘菓です。

歴女のみなさんも加藤清正に倣って、朝鮮飴で熊本散策を楽しむ元気をチャージしましょう。

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