歴女に人気の城下町

秋田県の城下町・角館(仙北市)

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「秋田新幹線」の開通後、格段にアクセスが向上した城下町「角館」(かくのだて)。訪れる観光客が増えるにつれ、その魅力がより多くの人に知られるようになっています。
みちのくの「小京都」と呼ばれる角館は、京風文化と東北の自然の融合による優雅さが特徴的。なかでも、春になると一斉に花を咲かせる枝垂れ桜と武家屋敷が織り成す風景は見事です。歴女に人気の高い角館の雅な文化の背景には、京の都との強い結び付きがありました。

2本の川が形づくった三角州へ城下町が発展

仙北郡角館絵図

仙北郡角館絵図

急峻な谷間を流れる「玉川」(たまがわ)と、昔から鮎漁が盛んな「檜内川」(ひのきないがわ)が合流してできた三角州に発展した城下町「角館」(かくのだて)。

この三角州には、小さな丘が不規則に点在し、平坦な三角州とは一風違う地形となっています。

この山里のなかで最も高い丘は、三角州の北にある海抜156mの北山。

かつてはここに「戸沢氏」(とざわし)が建てた「角館城」(かくのだてじょう)がありましたが、廃城となってからは「古城山」(ふるしろやま)と呼ばれるようになりました。

角館は、江戸時代に作成された絵地図「仙北郡角館絵図」(せんぼくぐんかくのだてえず)が今でも使えると言われるほど、往時の姿を残した城下町です。

この礎を築いたのは、戸沢氏が角館を去ったあとに領主となった「蘆名氏」(あしなし)。

蘆名氏は、城下町の中心となる居館を古城山の麓に移し、その南側に整然とした城下町を造成しました。現在、歴女が散策している角館城下町は、江戸時代のままの姿で残っていると言えるのです。

城下町を完成に導いた蘆名氏

蘆名氏が居館を構えた古城山の南側は高台にあり、川が自然のとなっていました。南北に細長い盆地は2つに分けられ、居館に近い部分に武家町を、遠い部分に商人町を配し、その中間には幅24m、長さ320mの火除け広場が設けられています。

本来の目的は、火災が起こった際に延焼を防ぐことでしたが、武士の待機場所としても利用され、明治に入ってからは馬市や繭市が開かれたり、祭りの見世物小屋が並んだりする城下町のコミュニティスペースとしての機能を果たすようになりました。

角館武家屋敷通り

角館武家屋敷通り

蘆名氏は、この火除け広場の境界には土手を築かせ、武家町に出入りする門を設けて警備。

門を抜けると10mの道路が続き、その両側には武家屋敷が並んでいました。

寺町は、門の外側にある商人町へ東西に振り分けて配置。

武士と町人合わせて約800戸の城下町の完成には、10年以上の歳月がかかっています。

しかし、跡取りとなる息子達が相次いで早世したことから、「蘆名家」(あしなけ)はわずか51年で廃絶。城下町そのものが蘆名氏の遺産となり、角館藩の統治は、「佐竹北家」(さたけほっけ)に引き継がれていきます。

独自の雅な文化を花開かせた佐竹北家

角館の城下町の成り立ちから、現在も観られる枝垂れ桜や、様々な工芸・美術品などの始まりなど、佐竹北家が関係していた角館の芸術や文化をご紹介します。

戸沢氏と蘆名氏が統治した戦国時代

最初の角館城を築いたのは、戦国時代に陸奥国岩手郡滴石(むつのくにいわてぐんしずくいし:現在の岩手県)に居住していた戸沢氏でした。戸沢氏は、1590年(天正18年)には「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)の「小田原の役」(おだわらのえき)に参戦し、本領4万4,000石を安堵されています。

1600年(慶長5年)には、「徳川家康」(とくがわいえやす)による「会津征伐」(あいづせいばつ)に2,000人ほどを率いて加勢。その勢いに乗って「酒田城」を攻め落としたことが評価されました。その2年後には、常陸国松岡(ひたちのくにまつおか:現在の茨城県高萩市)4万石への転封が叶い、角館は久保田藩(くぼたはん)佐竹氏の領地となったのです。

1603年(慶長8年)、1万5,000石で角館城主となったのが、「蘆名義広」(あしなよしひろ)。蘆名義広は、1589年(天正17年)の「摺上原の戦い」(すりあげがはらのたたかい)で「伊達政宗」(だてまさむね)に敗れて佐竹氏に身を寄せていたのです。

その蘆名氏がわずか3代で断絶したあとは、佐竹4家のひとつである北家の「佐竹義隣」(さたけよしちか)が角館の所預(ところあずかり)となります。1656年(明暦2年)のことでした。佐竹北家の統治は、幕末まで続くことになります。佐竹氏には、湯沢城代の南家、久保田藩主の東家、大館(おおだて)の所預だった西家、角館の北家がありました。

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佐竹北家が京都から移植した枝垂れ桜

角館の初代所預となった佐竹義隣は、京都の公卿「高倉大納言永慶」(たかくらだいなごんながよし)の次男で、久保田藩初代藩主の「佐竹義宣」(さたけよしのぶ)の甥。文学への造詣が深い都人で、城下町の山や川に小倉山、東山、鴨川などと名付けたと言われています。

枝垂れ桜

枝垂れ桜

その跡を継いだ「佐竹義明」(さたけよしはる)の正室も、京の三条西家(さんじょうにしけ)出身。

京都の「八坂神社」(やさかじんじゃ)から枝垂れ桜を取り寄せて邸に植えたのも、正室の「実名」(さねな)だったと言われています。

2代に亘る京都への思慕が角館に京風の雅をもたらし、歴女人気の高い「小京都」と呼ばれる土台を築いたのです。

雪に閉ざされた冬が終わると、一斉に花を開かせる枝垂れ桜の風景は、角館の人々の感性を大いに刺激。やがて、城下町のいたる所に枝垂れ桜が植えられるようになりました。

歴女にも人気の城下を彩る枝垂れ桜は、シロヒガンという種類が中心です。現在は、武家町周辺に400本以上が植えられ、そのうちの150本以上が天然記念物に指定されています。なかには樹齢200年を越える樹木もあり、根回りが2.5m以上に達した大木も。武家屋敷を覆うように咲く風景は、角館の春の風物詩です。

幕末には新政府側に立った角館は、「佐幕派」(さばくは)の諸藩が結成した「奥州越列藩同盟」(おううえつれっぱんどうめい)に狙われますが、玉川が自然の堀となり戦禍を免れることができました。そして、江戸の姿を残したまま、明治時代を迎えています。

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秋田蘭画を生んだ城下町のチャレンジ精神

角館は、「画人のふるさと」と呼ばれることもある町。これは、江戸中期に発祥した「秋田蘭画」(あきたらんが:秋田派洋風画)に由来しています。秋田蘭画の潮流を牽引したのは、角館の下級武士でもあった「小田野直武」(おだのなおたけ)でした。

平賀源内

平賀源内

小田野直武は、のちに「解体新書」(かいたいしんしょ)の解剖図を手がけた画家として知られていますが、そのきっかけを作ったのは、江戸の科学者・発明家として名を馳せた「平賀源内」(ひらがげんない)です。

1773年(安永2年)、「秋田藩」(あきたはん)に招かれた平賀源内が角館の宿屋に宿泊したとき、そこに置かれていた屏風に目を留めます。それが小田野直武の筆によって描かれた作品でした。

このとき平賀源内は、屏風絵の写実性に驚かされたと言われています。早速、平賀源内は小田野直武を江戸に呼び寄せました。その縁によって、小田野直武は解体新書の挿絵を任されたのです。

こんなエピソードも残っています。ある日、平賀源内は鏡餅を前に置き、これを真上から見た絵を小田野直武に描かせます。そして、西洋風の陰影法を伝授したと言われているのです。小田野直武はそのあと、洋風画を秋田藩主や角館城代などにも伝授しています。その際には日本絵具が使われましたが、遠近や陰影の表現法として西洋の技法について手ほどきをしました。

こうした逸話は、藩の重鎮達が芸術に親しみ、その発展を積極的にサポートしていたことをうかがわせます。本来であれば、秋田蘭画は日本の画壇を大きく変革させる可能性を秘めていましたが、奇行や刃傷沙汰が問題化して平賀源内が失脚したことから、小田野直武も謹慎となり、蘭画の勢いも下火になってしまいました。

明治時代に入り、秋田蘭画に再びスポットライトを当てたのは、角館生まれの日本画家「平福百穂」(ひらふくひゃくすい)。「平福家」(ひらふくけ)は町人画家の家系で、平福百穂は秋田蘭画の研究者としても知られています。

伝統的な大和絵とは一線を画した力強いタッチの作品が多く、あるがままの自然を描こうする態度は、小田野直武の写実性にも通じています。歴女ならずとも、これらの活躍から、角館城下町に住んでいた画家達のチャレンジ精神を感じずにはいられません。

角館城下町の注目スポット

秋田新幹線が開通し、全国各地から観光客が押し寄せている角館は、江戸時代の道がそのまま残る雅な城下町。歴女のみなさんなら江戸時代の古地図を片手に歩いてみても楽しめるのではないでしょうか。

みちのくの小京都と呼ばれる角館へ、今すぐ行ってみたくなる特選スポットをご紹介します。

角館武家屋敷通り

角館武家屋敷通り」(かくのだてぶけやしきどおり)の武家屋敷町は、大きく分けて2ヵ所に設けられています。ひとつは、「内町」(うちまち)と呼ばれ、現在は、歴女をはじめとして、観光客で賑わう人気のエリア。もうひとつは、城下の南側に配された「田町」(たまち)です。

いくつも残された武家屋敷は、映画「たそがれ清兵衛」などのロケ地にもなりました。庭に大木がそびえる屋敷が多く、春の枝垂れ桜はもちろんのこと、夏の青葉、秋の紅葉、冬の雪景色など、季節ごとに異なる素晴らしい風景が楽しめます。

青柳家

青柳家

なかでも、上級武士にのみ許された「薬医門」(やくいもん)を構える「青柳家」(あおやなぎけ)は、よく知られた武家屋敷です。

正面に大門があり、その左には通用門を設置。馬繋ぎ石や乗馬のための踏み台石があり、往時の武士の姿が偲ばれます。

覗き窓の付いた塀の内部には3,000坪の敷地が広がり、約200年前に建てられた母屋を中心に井戸、米倉、文庫倉などが配されています。

母屋の座敷からは、「池泉回遊式庭園」(ちせんかいゆうしきていえん)を見渡すことができ、本物の刀剣に触れたり、鎧兜を着用できたりする体験コーナーも設けられています。

商人の町 外町

武家屋敷が並ぶ内町から南に下ると、町の雰囲気が徐々に変わり、古い商家が点在する道筋に行き当たります。ここが「外町」(とまち)と呼ばれたかつての商人町です。

江戸時代に建てられた蔵を残した「坂本家」(さかもとけ)、明治時代に設えた蔵座敷が伝わる「安藤家」(あんどうけ)など、それぞれに味わいの違う建物が時代の変遷を物語っています。

酒蔵と内蔵が残る「五井家」は、小田野直武が平賀源内に出会ったと言われる場所。五井家は江戸時代の豪商で、藩の御用商人でした。

歴女ならずとも、想像力を全開にして、それぞれの歴史的建物に伝わる物語を感じ取りたくなる場所だと言えます。

仙北市立角館樺細工伝承館

樺細工の茶筒

樺細工の茶筒

「樺細工」(かばざいく)は、山桜の皮を使用した工芸品です。

1780年頃(安永年間~天明年間)に「藤村彦六」という侍が秋田県北部の阿仁(あに)地方へ行き技術を習得し、これを城下の下級武士に教えて手内職として普及させたと言われています。

本来、樺細工は全国各地で作られていましたが、様々な生活用具に応用し、芸術性の面でも研鑽(けんさん)を積んで高級品を作り出したのは、角館の人々。初期の作品には、煙草胴乱(たばこどうらん)、根付け、印籠、眼鏡入れが多く、藩主にも献上されていました。

そして、藩主も他藩の大名への進物などに使っていたと言われ、のちに自ら樺細工作りに没頭する殿様も現れたりしたと伝えられています。恐らく、桜の皮の光沢や渋みを帯びた色、手触りなどに魅せられてしまったのでしょう。それに続き、名工と呼ばれる侍も現れるようになり、技術と芸術性のレベルはみるみる向上。

とは言え、樺細工は商業的には採算の取りにくい産業だったようで、れっきとした工芸品として認められるようになったのは、昭和になってからでした。今では、国の伝統工芸品の指定を受け、海外にも輸出されています。

「仙北市立角館樺細工伝承館」(せんぼくしりつかくのだてかばざいくでんしょうかん)では、お土産を購入したり、お茶を楽しんだりしながら、樺細工の歴史に触れることが可能。伝統工芸好きの歴女向きのスポットです。

佐竹歴史文化博物館

佐竹歴史文化博物館

佐竹歴史文化博物館

「佐竹歴史文化博物館」(さたけれきしぶんかはくぶつかん)では、角館の殿様だった「佐竹家」(さたけけ)に伝わる武具や甲冑などの工芸品の他、伝統工芸の技術を駆使した金銀細工、書画などを収蔵。

秋田を代表する金属工芸家「林美光」(はやしびこう)の近代アートなども展示され、鉱山の秋田県ならではの工芸系譜を辿ることができます。

この佐竹歴史文化博物館は、かつて日本刀のなどに使われていた技法から生まれた「杢目金」(もくめがね)の作品を間近で鑑賞できる稀少なスポットとしても知られ、現代金属工芸のレベルの高さを知ることが可能。伝統ある城下町で初めて観るアート作品との出会いは、歴女ならずとも感動モノだと言えます。

平福記念美術館

平福記念美術館

平福記念美術館

平福記念美術館」(ひらふくきねんびじゅつかん)は、角館出身の近代日本画の大家である「平福穂庵」(ひらふくすいあん)と、平福百穂父子の他、郷土が生んだ小田野直武や平福穂庵、平福百穂の門下生となって研鑽を積んだ画人の作品を収蔵・展示している美術館です。

敷地は江戸時代に佐竹北家の家臣だった武家屋敷の跡地で、のちに平福百穂が尽力して建てられた旧制県立角館中学校の校舎があった場所。平福記念美術館の前庭には、江戸時代に植えられた立派な樹木がそのまま残されています。

平福家は、3代に亘る画家の家系。平福穂庵は父の「平福文浪」(ひらふくぶんろう)から絵を学び、16歳で京都に出て頭角を現しました。四男の平福百穂も、父の手ほどきを受けたのちに、日本美術学校日本画科専科を卒業。絵画における自然主義、写実主義を追求し、帝国美術院会員となります。

平賀源内に見出された角館の画人であった小田野直武が起こした秋田蘭画の研究にも取り組み、アララギ派の歌人としても活躍するなど、豊かな才能を広く文芸の世界に捧げました。

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