歴女に人気の城下町

兵庫県の城下町・姫路(姫路市)

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山陽新幹線やJR山陽本線に乗る人の多くが、美しい白亜のお城を車窓から見付けて心躍らせます。姫路駅の北側へまっすぐに伸びる道の先に、世界遺産「姫路城」(ひめじじょう)がそびえているからです。「城ガール」とも呼ばれるお城好きな歴女の皆さんはもちろん、お城にあまり興味がない人でも、その姿の美しさには思わず足を止め、飽くことなく眺めることでしょう。
広大な敷地に建つ姫路城はとても大きく、近くにあるのかと思って歩きますが、駅前からゆっくり歩くと15~20分ほどかかります。白鷺が羽を広げたように観えることから付けられた「白鷺城」(しらさぎじょう)とも呼ばれる姫路城。ここでは、姫路城の圧倒的な美しさについて、またそのお城を守り続けてきた人々について、ご紹介します。

平山城である姫路城は入り組んだ難攻不落の城

姫路城」(ひめじじょう)は、大河ドラマの主人公になったことで、歴女からも熱い支持を得ている武将「黒田孝高」(くろだよしたか)、通称「黒田官兵衛」(くろだかんべえ)ゆかりのお城として知られ、大きな戦火の被害を受けることなく、奇跡的に現在までその姿を残しています。ここでは、姫路城の成り立ちと、かかわりの深い武将をご紹介します。

困難な時代にも守ろうとする強い意志

黒田孝高(黒田官兵衛)

黒田孝高(黒田官兵衛)

最初に砦が築かれたのは、「赤松則村」(あかまつのりむら)によるもので1333年(元弘3年)のこと。

そののち、お城としての体裁を整えたのが、黒田孝高。姫路城と言う名前になったのは1580年(天正8年)からです。

それからは西国統治の重要拠点と位置付けられ、「羽柴秀吉」(はしばひでよし)のちの「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)、「池田輝政」(いけだてるまさ)、「本多忠政」(ほんだただまさ)が改修、1617年(元和3年)に現在の姿になったのです。

1956年(昭和31年)には、大天守を中心にした「昭和の大修理」がありました。2009年(平成21年)からの、7年がかりでの大天守保存修理工事「平成の大修理」を終え、今は真っ白な姿を国内外からの観光客に披露しています。

国宝の天守4棟、渡櫓(わたりやぐら)4棟、重要文化財の櫓(やぐら)16棟、渡櫓11棟、門15、塀32。合計で80を超える建造物が残されているのです。

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内堀・中堀・外堀でそれぞれ役割を

姫路城

姫路城

姫路城は、姫山と鷺山(さぎやま)の2つの城山の周辺に、3重のおが掘られています。

つまり、お城と城下町の囲郭(いかく)が行なわれていたのです。

内堀のなか、北側に天守などお城の中心的な施設が配置され、南側には城主と家族が生活するための館が築かれました。

さらに、中堀の内側には、武家屋敷が建築されています。お堀の外側は、町人達の住むエリア。このお堀が、当時の身分を明確に分けていたと言えるのです。また、曲がりくねった道は、攻めにくくするための工夫でした。

今も、道や区画にさほど大きな違いなく、姫路の町づくりがなされています。内堀や曲がった道はそのままに、真っ白な姫路城を囲むようにして立ち並ぶ観光施設や公共施設。天守に登ったら、姫路の町全体を東西南北に見晴らしてみましょう。武家屋敷街だったところ、町人の住む地域、つまり商業地域だったところ、職人が多く住んでいた地域が方角によって分かれているはずです。

また、内堀からお城散策を始めると、このお堀の深さに驚かされることでしょう。これは、平山城ならではの風景なのかもしれません。中堀沿いには、土塁が残されています。きれいに整備されており、門の遺構が表示されていますので、注意深く観てみましょう。土塁に桜が植栽されているところも多くあります。

姫路城ならではのエピソード

姫路城には、ひとつの石臼から始まる話や、焼け野原で姫路市民の希望となった話など、城下に住まう人々との心のつながりが分かる物語が伝えられています。

石臼に込められた老婆の思いとは

羽柴秀吉が三層の天守を建築していたとき、お城の石垣に使う石が近隣から上手く集められなくなっていました。その際、お城の外で焼き餅を売っていた貧しい老婆が、「これでも役に立つなら」と古い石臼を差し出したのだそうです。羽柴秀吉はいたく喜び、実際に「乾小天守」(いぬいこてんしゅ)北側の石垣に石臼を使います。

その噂が広まり、町の人々は我先にと石を寄贈するようになりました。そのおかげで普請は順調に進み、完成が早まったと言われています。

大工の棟梁がなぜ自死を選んだか

池田輝政による築城の際に、普請にあたった大工の棟梁は、「桜井源兵衛」(さくらいげんべい)という男。9年の建築期間、真面目な桜井源兵衛は毎日のように仕事に勤しみ、精魂込めて姫路城を造りあげました。

ところが、完成したお城を観てみると、天守閣が傾いて観えたのだそうです。そこで妻を連れていき感想を聞くと、妻も傾いて観えると言うので、桜井源兵衛はすっかり落ち込んでしまいました。自分の寸法が間違っていたのだと思った桜井源兵衛は、完成したばかりの天守からノミを口に咥えて身を投げてしまいます。

後世になって、解体修理の際に、本当に東南方向に傾いていたことが確認されましたが、その原因は、桜井源兵衛の寸法違いではなく、東西の石垣が自然に沈んでしまったことによるものでした。美しさと正確さを追求した日本の職人の悲しく切ない逸話です。

空襲翌朝、姫路城を見て涙した姫路市民

太平洋戦争下では、アメリカ軍の爆撃を受けないようにするため、ただでさえ目立つ城の白壁を、市民達が黒く染めた網で覆う方法で守ろうとしました。今でもそのときの網を引っ掛けた釘が残されています。

JR姫路駅から観る姫路城

JR姫路駅から観る姫路城

1945年(昭和20年)、終戦間近の7月、姫路は空襲に遭い、城下町は焼き尽くされてしまいました。

お城のなかにも着弾したものの大きな被害には至らず、ギリギリのところで城郭の焼失は免れたのです。

翌朝、真っ黒に焦げた町のなかで、堂々とした姿のままの姫路城を観て、市民達は喜び涙したと伝えられています。

黒田孝高・官兵衛・如水の人生とは?

1546年(天文15年)、黒田孝高は姫路に生まれ、播磨国(はりまのくに:現在の兵庫県南部)の「小寺政職」(こでらまさもと)に仕えながら、姫路城主となります。のちに、「織田家」(おだけ)の家臣となって羽柴秀吉にもかかわり、この頃から「黒田」の苗字を使い始めました。

羽柴秀吉は姫路城を黒田孝高に返そうとしますが、黒田孝高は断ります。姫路城は、西国を統治するにあたっての適地であるゆえ、羽柴秀吉が治めていくべきである、というのがその理由。この辺りに、黒田孝高が軍師と呼ばれる所以があるのです。

そののち、羽柴秀吉より姫路城の普請を命じられます。豊臣家の天下統一が実現すると、黒田孝高は「石田三成」(いしだみつなり)の謀略により切腹の危機を迎えますが、出家して「黒田如水」(くろだじょすい)となることで免れました。

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キリシタンだった官兵衛の最期とその後

豊臣家の家臣時代にキリシタンとなって洗礼を受けていた黒田孝高は、1604年(慶長9年)3月、京都伏見の藩邸で死去。4月になると博多の教会の宣教師達によって、博多キリシタン墓地に隣接する松林に埋葬されました。

主だった家臣と宣教師達に、温かく見守られての儀式だったと伝わっています。息子である「黒田長政」(くろだながまさ)は葬儀の労を労い、後日、宣教師に500石の米を贈りました。

さらに黒田長政は、京都の臨済宗「大徳寺」(だいとくじ)に、父を弔う塔頭(たっちゅう:大寺院の敷地内に建てられた個別の小寺院)を建立しています。

黒田孝高が姫路城主であったのは、ほんの一時期のことでしたが、今でも黒田孝高人気が姫路で高いのは、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」(ぐんしかんべえ)の影響だけでなく、軍師として、現代の言葉で言えば、アイデアマンでありマーケッターであった黒田孝高の生き方が、姫路に根付いているからかもしれません。

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姫路城下のおすすめスポット

歴史深い姫路の城下には、映画の撮影に使われたお寺や、黒田官兵衛ゆかりの神社など、魅力的な観光スポットがたくさんあります。姫路に訪れたら名将の足跡を探してみましょう。

廣峯神社

廣峯神社

廣峯神社

姫路市を見晴らす広嶺山(ひろみねさん)の上に、軍師・黒田官兵衛ゆかりの「廣峯神社」(ひろみねじんじゃ)は鎮座しています。

創建は天平時代、734年。明治の「神仏分離令」(しんぶつぶんり)の前は、「牛頭天王」(ごずてんのう)を祭神としており、全国にある牛頭天王の総本宮とされています。

牛頭天王は、陰陽道にとっては重要な意味を持っており、廣峯神社の創建者とされる「吉備真備」(きびのまきび)は陰陽師でもあったため、廣峯神社が陰陽道と関係が深いことは容易に想像ができるのです。

なお、この他「八坂神社」(やさかじんじゃ)も牛頭天王の総本宮であると主張しています。

また廣峯神社は、「黒田家」(くろだけ)ゆかりの地としても知られており、戦国時代の「黒田重隆」(くろだしげたか:黒田孝高の祖父)にまつわる伝説が残されています。そのことから、2019年(平成31年)春には本殿裏手の境内に、黒田孝高を祭神とする神社を建立することになりました。

書寫山圓教寺

書寫山圓教寺

書寫山圓教寺

「ラストサムライ」のロケ地としても知られる「書寫山圓教寺」(しょしゃざんえんぎょうじ)の創建は966年(康保3年)。

現住職は140世、天台宗別格本山で、西国二十七番札所でもあり、西国三十三所のうち最大規模の寺院です。

京都から距離があるにもかかわらず、貴族からの信仰が厚く、かつては天皇も訪れていました。

別名「西の比叡山」(にしのひえいざん)と呼ばれるほど寺格は高く、明治維新までは女人禁制。女性の参拝は、東坂参道にある女人堂に札を納めるのみで帰らねばなりませんでした。

敷地も非常に広く、東・中・西と3つの「谷」に分けられています。東谷には仁王門から十妙院(じゅうみょういん)が、中谷には観音堂、西谷には3つの堂や奥の院を配置。寺の名前にもなっている「書寫山」(しょしゃざん)は、標高371mもある文字通りの「山」で、兵庫県指定の鳥獣保護区に指定されています。

この広大な敷地、荘厳な山と寺の風景は、映画やドラマのロケ地としても多く選ばれてきました。2003年(平成15年)のハリウッド映画ラストサムライやNHK大河ドラマ「武蔵」(むさし)、2014年(平成26年)にもNHK大河ドラマの軍師官兵衛などで目にしたこともあるでしょう。

映画ラストサムライで、トム・クルーズと渡辺謙が挨拶を交わすシーンは、「常行堂」(じょうぎょうどう)での撮影。撮影スタッフが姫路城を観光した際にこの寺に立ち寄り、監督がひと目でここをロケ地にしたいと言い出したとのこと。

歴史だけでなく映画も好きな歴女の皆さんは、書寫山圓教寺を実際に訪れて数々のシーンを思い浮かべながら、歴史物語を紐解くのも楽しいのではないでしょうか。

兵庫県立歴史博物館

兵庫県立歴史博物館

兵庫県立歴史博物館

姫路城の北東にある「兵庫県立歴史博物館」(ひょうごけんりつれきしはくぶつかん)は、建物全体が姫路城をイメージして造られています。

故「丹下健三」(たんげけんぞう)氏による設計で、壁は石垣を、空調用の換気口は狭間(さま:矢や鉄砲などを使うための小窓)を表現しているのです。

ティーラウンジのガラス面には、天守の姿が映り込むことから、記念写真の撮影スポットにもなっています。

姫路城と城下町をテーマにした展示が多く、姫路市の歴史と文化を学ぶにはおすすめの施設です。昔の民家の再現コーナーでは、十二単や甲冑の着付け体験ができ、お子さん連れで楽しむ方も多くいます。憧れの武将や姫と同じ格好をしてみたいと思われる歴女の皆さんにもオススメのスポットです。

姫路城西御屋敷跡庭園好古園

姫路城西御屋敷跡庭園好古園

姫路城西御屋敷跡庭園好古園

姫路城に隣接する巨大な庭園「姫路城西御屋敷跡庭園好古園」(ひめじじょうにしおやしきあとていえんこうこえん)は、姫路市の市政100周年を記念して、1992年(平成4年)に造られた日本庭園。

もとは、本多忠政の西御屋敷や武家屋敷などが建てられていました。

この庭園を造る整備段階の発掘調査によって遺構が確認され、「酒井家」(さかいけ)時代の「姫路侍屋敷図」の内容とほぼ一致していたとのこと。

園内にあるのは、大小9つの庭園です。築地塀や屋敷門、長屋門のある「活水軒」(かっすいけん)をはじめ、本格的な数寄屋造の茶室「双樹庵」(そうじゅあん)などがあります。

双樹庵は、裏千家15代家元「千玄室」(せんげんしつ)氏の監修で造られており、建物全体とそれぞれの茶室が、姫路城の天守閣へ向かうように設計。天守に礼を尽くす考え方は、茶の湯の心にも通じているのでしょう。双樹庵には、流派を超えて多くの茶人が訪れています。

もちろん一般客への一服の茶と和菓子の振舞いがあるので、お茶の心得がなくとも気軽に楽しむことが可能です。歴女の皆さんも、姫路城下町の散策で歩き疲れたときには、ここでお茶を頂いて、ホッとひと息つかれてみてはいかがでしょうか。

播磨姫路初代藩主・本多忠政の1振

短刀は「織田信長」(おだのぶなが)が尾州(びしゅう:尾張国の別称)名古屋を統治していた時代、「塩川伯耆守国満」(しおかわほうきのかみくにみつ)が所持していたことから「塩河来国光」(しおかわらいくにみつ)と名付けられました。

のちに、「本多忠勝」(ほんだただかつ:徳川四天王のひとり)の長男である本多忠政が入手し、「播州姫路藩本多家」(はしゅうひめじはんほんだけ)に伝来。本多忠政は、家督を継ぎ「桑名藩」(くわなはん)2代藩主となり、次いで「播磨姫路藩」(はりまひめじはん)初代藩主になりました。

「来国光」(らいくにみつ)は、「来国俊」(らいくにとし)の嫡子と言うのが通説ですが、諸説あります。来国光は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期に京都で活躍した名工であり、来派(らいは)のなかで最も作刀していた期間が長いのが特徴です。

短刀  銘  来国光(名物塩河来国光)
短刀 銘 来国光(名物塩河来国光)
来国光
鑑定区分
重要文化財
刃長
25.6
所蔵・伝来
本多美濃守
忠政所持→
本多家伝来→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

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