歴女に人気の城下町

鹿児島県の城下町・知覧(南九州市)

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鹿児島県南九州市の「知覧」(ちらん)は、「薩摩の小京都」と呼ばれるほど、美しい街並みが特徴の城下町です。薩摩藩(さつまはん)では、「外城制」(とじょうせい)が取られ、島津家(しまづけ)居城の「内城」(うちじょう)に対して、領内を区画した「外城」(とじょう)と「麓」(ふもと)と呼ばれる武家の集落に、城下町が築かれていました。
知覧には、今もなお古き良き藩政時代の面影が色濃く残っています。凜とした武家屋敷が続く町並みは、きっと歴女好み。なお、知覧は太平洋戦争末期に「特攻隊」の出撃地になったことも忘れることはできません。そんな知覧の城下町をご紹介します。

麓と呼ばれる小さな城下町を発展させた経済と教育

武の国としても名を馳せた「薩摩藩」(さつまはん)には、非常に珍しい藩政が敷かれていました。藩政の中心となる「鹿児島城[鶴丸城]」(かごしまじょう[つるまるじょう])に天守はなく、人々が「お屋形」(おやかた)と呼ぶ低層の屋形造(やかたづくり)。

薩摩藩の防御を担ったのは、「外城」(とじょう)と呼ばれる地方集落です。各地に武士団を分散し、それぞれの領地を統治させる方式でした。これらの集落は「麓」(ふもと)と呼ばれ、小規模な城下町を形成。麓の中心には、地頭(じとう)の居館である「御仮屋」(おかりや)が置かれ、ここで外城の行政を司っていたのです。

薩摩では、「人は城、人は石垣、人は壕[ほり]」という言葉が合い言葉となっていました。藩士自身が砦となって領地を守るのが薩摩流なのです。外城麓は、その考えを体現した施政の姿とも言えます。

足利尊氏が佐多氏に与えた領地

知覧城址

知覧城址

知覧城」(ちらんじょう)の築城時期については明らかになっていませんが、古文書には、室町時代の1353年(文和2年)に島津氏4代「島津忠宗」(しまづただむね)の三男「佐多忠光」(さたただみつ)が、「足利尊氏」(あしかがたかうじ)から知覧の領地を与えられたとの記録が残っています。

そののち、「佐多氏」(さたし)の居城となりますが、江戸時代に入ると、知覧は薩摩藩の島津氏が領有するところとなり、知覧城は薩摩藩の外城に。島津氏と佐多氏が縁戚関係を結んでいたことから、鎌倉時代から続く薩摩の大大名である島津氏の名を名乗ることが、佐多家の長男家のみに許されました。

歴史の解説書などを観ると、江戸時代以降の佐多氏は「島津佐多氏」(しまづさたし)と記されることもあります。

佐多久峯の城下町づくり

薩摩藩の重臣である佐多氏の本邸が鹿児島城下にあり、知覧の居館は御仮屋と呼ばれました。御仮屋は、領内にある宿泊所のような場所を意味します。

江戸時代中期の享保年間、「佐多久峯」(さたひさたか)が領主の時代になると、知覧は113ある薩摩藩の外城のなかでも、ひと際美しい城下町として知られるようになりました。

主藩である薩摩藩の藩政で手腕を発揮しながらも、知覧麓の区画整理を進めるなど地元の治世にも熱心に取り組んだと言われます。なお、佐多久峯は利発な秀才タイプだったとのこと。

平地にある知覧の北には麓川が流れ、城下の西でほぼ直角に曲がります。丁度良い形の自然のです。道路は一部に十字路が見られるものの、そのほとんどが丁字路で構成。視界を妨げる防御性の高い構造になっています。また、やや道幅の広い部分は「馬場」と呼ばれ、実際に馬術の練習場として使われていました。

歴女にぜひ観て欲しい知覧で最も美しいエリアは、上級武士が暮らしていた武家屋敷が並ぶ一帯。これらの屋敷には、それぞれに素晴らしい庭園があります。それぞれ趣向の異なる庭園を見比べながら歩いていると、主の人柄までが見えてくるようです。

知覧麓を経済的発展に導いた仲覚兵衛

こうした知覧特有の雅な風土は、どのように育まれたのでしょうか。背景のひとつには、安定した知覧の経済力があります。もともと知覧には、手簑山(てみのやま)の良質な杉材や、軍馬や農耕馬として使われた馬づくりといった地場産業が根付き、財政面を支えていました。

さらに、1770年代(安永年間頃)になると、知覧の門之浦(かどのうら)に住んでいた「仲覚兵衛」(なかかくべえ)が、獣骨が肥料に適していることを発見。それを契機に、知覧は麓を挙げて阪神方面から獣骨を運び込むようになります。獣骨を菜種や稲、サツマイモの栽培に使うようになり、農業と海運業を飛躍的に発展させたのです。

その経済的なゆとりが、城下の景観整備に象徴される文化発展の背景にありました。1851年(嘉永4年)に薩摩藩主の「島津斉彬」(しまずなりあきら)が知覧の教練を閲兵したときには、知覧の武士の士気が高く、装備も充実していたことに驚いたと言います。

仲覚兵衛が名字を許されたのは、この獣骨にまつわる功績によるもの。知覧領主から帯刀を許され、「可楽」という雅号(がごう:本名の他に付ける風流な別名)も与えられました。

郷中教育で育まれた知覧の武士魂

知覧は教育にも熱心な地域でした。島津家直轄の家臣(郷士)ではなく、傍流(ぼうりゅう:主流からはずれていること)の殿様が領有する地域であったことから、知覧の武士は「家中」(かちゅう)と呼ばれる一段低い身分に置かれていました。それが、かえって知覧の武士達を鼓舞したのかも知れません。

尚古集成館

尚古集成館

佐多久峯は、主藩である薩摩藩の藩校「造士館」(ぞうしかん)に先んじて知覧の学問所とした「尚古集成館」(しょうこしゅうせいかん)を創設しています。

そもそも薩摩藩自体も、独特の教育方針で若者の教育に取り組んでいたことで知られています。

その教育とは、「郷中教育」(ごじゅうきょういく)です。

これは、2018年(平成30年)のNHK大河ドラマ「西郷どん」(せごどん)で一躍有名になりました。郷中教育とは、数十軒を一単位とする町内会のような物を作り、そこに暮らす6歳ほどの幼児から20代半ばの青年までが、一緒になって学ぶ教育の自治組織のようなものです。年上の青年が年下の少年達の面倒を見て、年下の子どもはお兄さん達の背中を見ながら成長していくのです。

知覧には麓集落の他、郷全体を5つの区域に分けて「稽古所」と呼ばれる郷中教育の場が設置されていました。そこに集められた青少年達は、毎晩集まって読書をしたり、作文を書いたりして勉学に勤しみ、共同生活をします。ときには、一人前の武士となるための通過儀礼として肝試しも行なわれていたとのこと。

武道の稽古にも余念がなく、剣術弓術鉄砲術、馬術、相撲などの鍛錬を日常的に続け、郷内の稽古所の青少年が一堂に会して日頃の成果を試す「集合稽古」も毎月開かれていたと言います。教養を高めるために和歌などにも親しみ、地域の防災活動の担い手ともなり、稽古所の活動費を自分達で賄うために、林を造り経費を捻出していました。

まさに、「心・技・体」を鍛える場が、郷中教育であり、知覧の訓練所だったのです。これらの場を通じて養成された知覧の武士魂は、幕末から明治維新のなかでも遺憾なく発揮されました。

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知覧茶がもたらした明治維新後の発展

知覧の歴史で、もうひとつ特徴的な点があります。それは、明治維新を迎え、廃藩置県が施行されたあとにも発展を続けたことです。

1889年(明治22年)に「知覧郷知覧村」として新たな一歩を踏み出した知覧は、その前後に警察の分署や軍馬補充部の出張所、裁判所、税務署、郵便電信局、煙草収納署、営林署知覧担当区といった行政や司法の公共機関を誘致し、町の機能の充実を図りながら、活気を盛り上げようとしました。

また、江戸時代には上質な木材を産出した「手蓑杉」(てみのすぎ)の林だった場所が、明治時代に払い下げられると、元士族だった名士達が中心となり、お茶の栽培に着手します。

後進達が宇治茶の製法に学んで努力を続けた結果、全国の品評会でも注目されるようになり、1928年(昭和3年)の「御大礼記念博覧会」では、遂に一等を獲得したのです。知覧は宇治、静岡と並ぶ銘茶の産地として全国に名を馳せるようになりました。

その翌年には、鹿児島県の農事試験場の茶業分場を知覧に誘致。地域経済を支える一大産業へと発展させるための余念がありません。今では、ゴールデンウィークの頃、新芽のグリーンに染まる茶畑の風景は、知覧を彩る風物詩となっています。

薩摩の小京都、麗しの街を歩く

小京都と例えられるほどの賑わい、文化の町であった知覧には、伝統の家屋や薩摩と英国のご縁を学ぶ歴史的建築物の他、ダイヤモンド薩摩富士などの自然が生み出す美しい景色も観ることができます。おすすめスポットをご紹介していきましょう。

知覧武家屋敷庭園

知覧武家屋敷群

知覧武家屋敷群

知覧武家屋敷庭園」(ちらんぶけやしきていえん)は、約250年前に整備された武家屋敷町が残り、国の「重要伝統的建造物群保存地区」となっています。

領主の居宅だった御仮屋を中心に道路をレイアウトし、防御性を高めた城塁型の町割り。

それぞれの知覧武家屋敷には庭園が築かれ、通りに面した石垣には美しい生垣が続いています。このエリア全体がひとつの庭園都市のような造りです。

庭園は7つあり、1ヵ所は「池泉式庭園」(ちせんしきていえん)、他の6ヵ所は枯山水の庭園。いずれも奥に築山を設け、そびえるような立石を主軸に枯瀧(かれたき:庭の形式のひとつ。石だけを滝のように組み、実際に水は落とさないこと)を組み、石組みを配し、また石塔や灯籠を置いて、大刈り込みにした生け垣、波状に刈った生垣で修飾しています。

その手法には、琉球庭園と相通ずるものがあり、庭園文化の伝播を知る上でも貴重です。生垣に使われている樹木は、茶やイヌマキ、大刈り込みにはツツジ・サツキ。町並みの東方には、庭園の借景ともなっている「母ヶ岳」(ははがたけ)が優美な山の姿を観せています。

横峯家住宅主屋

「知覧型二ツ家」(ちらんがたふたつや)は、知覧特有のユニークな住宅です。南九州の民家は、南西諸島で観られるような、オモテ・ナカエ・ウマヤ・便所・風呂場がそれぞれに独立した分棟型が基本でしたが、オモテとナカエを連結させて棟と棟を繋ぐ、小棟の形状は知覧ならではの形。

今でも3棟が現存しており、「横峯家」(よこみねけ)は、オモテとナカエをややずらして連結し、棟を直交させて作られています。木造の平屋建寄棟造(ひらやだてよせむねづくり)で、屋根は茅葺(かやぶき)です。

ミュージアム知覧

ミュージアム知覧

ミュージアム知覧

知覧の文化のなかにある他文化に着目し、「交錯する文化の波」をテーマに情報発信する博物館「ミュージアム知覧」。

音と映像で楽しむシアターや、武家屋敷、知覧城跡、薩摩の隠れ念仏などについて分かりやすく紹介しています。

矢櫃橋

知覧武家屋敷の近くを流れ、かつては堀の役割を果たした麓川。その川幅の狭くなった場所に架けられた自然石の眼鏡橋が「矢櫃橋」(やびつばし)です。

永久橋というかつてあった別の橋を修復した残石で1852年(嘉永5年)に造られたとのこと。周辺は、親水公園として整備されています。

御茶屋の場公園

ダイヤモンド薩摩富士

ダイヤモンド薩摩富士

知覧町の塩屋(しおや)集落にある海岸沿いの小さな公園が「御茶屋の場公園」(おちゃのばこうえん)。

「薩摩富士」と呼ばれる「開聞岳」(かいもんだけ)と海を一望する絵葉書のような風景が広がります。

日の出と夕陽の絶景スポットとなっており、12月初旬から1月中旬には、開聞岳山頂と朝の太陽が作る「ダイヤモンド薩摩富士」が観られます。

薩摩英国館

薩摩英国館

薩摩英国館

「薩摩英国館」(さつまえいこくかん)は、紅茶や緑茶をはじめ、多彩なお茶を観て・飲んで・楽しむスポットです。

展示スペースでは、歴史のなかで一時対立関係にあった薩摩と英国、またそのあとの意外な結び付きや交流が紹介されています。

近代化に向かう流れのなかでターニングポイントとなった「生麦事件」(なまむぎじけん)や「薩英戦争」(さつえいせんそう)を中心に、「Illustrated London News」(絵入りロンドンニュース)など英国側史料から振り返るコーナーでは、目からウロコの発見と出会えそうです。

また、2007年(平成19年)には、薩摩英国館製造の紅茶「夢ふうき」が英国のグレート・テースト・アワードで金賞を受賞。これを機に知覧ならではの、お茶に関する資料を充実させました。薩摩英国館内のショップでは、紅茶の夢ふうきや知覧茶を販売しており、お土産にぴったりです。

忘れてはいけない知覧の現代史

太平洋戦争末期、旧陸軍の特攻基地が置かれていた知覧。人類史上、類のない爆装した飛行機もろとも肉弾となり敵艦に体当たりするために、この地から多数の若き陸軍特別攻撃隊員が飛び立っていきました。その歴史に触れるスポットをご紹介します。

知覧特攻平和会館

知覧特攻平和会館

知覧特攻平和会館

知覧特攻平和会館」(ちらんとっこうへいわかいかん)には、彼らの遺影、遺品、記録等貴重な資料を収集・保存・展示されています。

特攻隊員達の心情を知り、平和を考えることは、今を生きる私達の責務なのかもしれません。

命を懸けた若者達の声なき声が聞こえてくるようです。

ホタル館 富屋食堂

太平洋戦争末期に陸軍の指定食堂だった「富屋食堂」(とみやしょくどう)を、当時の場所に忠実に再現した資料館です。ここで特攻隊員を温かく迎えたのは、「特攻の母」として慕われた「鳥浜トメ」でした。鳥浜トメと特攻隊員との触れ合いの遺品や写真などが展示されています。

隣接する「富屋旅館」(とみやりょかん)は、戦後になって遺族の宿泊用として建てられた物。知覧を訪れる歴女には、ぜひ立ち寄って欲しい現代史の遺構です。

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