歴女に人気の城下町

滋賀県の城下町・安土(近江八幡市)

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「織田信長」(おだのぶなが)が夢見た天下統一の形が、現実となった時代がありました。夢の舞台は、現在の滋賀県近江八幡市(しがけんおうみはちまんし)にある「安土」(あづち)。時は1576年(天正4年)から1582年(天正10年)の6年間のことです。
安土の地名は、「平安楽土」(へいあんらくど)に由来するとも言われています。現在の安土には、往時の様子を伝える城址と、いくつかの史跡が残るのみですが、想像力を刺激されるという点に置いて、安土は他の城下町と一線を画する存在です。
近年では発掘調査が進み、「安土城」(あづちじょう)の全貌も明らかになってきました。常に歴女人気のトップを争う織田信長の「夢の跡」を追ってみましょう。

理念は「天下布武」

織田信長

織田信長

「天下布武」(てんかふぶ:戦いを収め、天下泰平の世を実現する)の理念を掲げ、戦国時代を駆け抜けた改革者とのイメージが強い「織田信長」(おだのぶなが)ですが、安土城下の町づくりからは、合理的かつ地道な為政者(いせいしゃ:政治家)の姿が浮かび上がってきます。

安土城の築城に着手したのは織田信長が43歳のとき。家督を嫡男の「織田信忠」(おだのぶただ)に譲った翌年のことでした。戦の第一線から退いた織田信長は、国を新たな時代へと導く政策に邁進していったのです。

安土城は、同時期の戦国大名で、織田信長とは敵対関係にあった「六角氏」(ろっかくし)の築いた「観音寺城」(かんのんじじょう:現在の滋賀県近江八幡市安土町)に倣ったとも言われていますが、石垣の上に天主がそびえるお城としては日本史上初の建築でした。

なお、「天主」と「天守」は同じ意味ですが、織田信長は天主の表記を好んでいたと伝えられています。そのため、安土城にまつわる歴史書では天主と記されることが多いのです。

古い体制に風穴を開けた楽市楽座

近江商人を生んだ八幡堀

近江商人を生んだ八幡堀

織田信長の先進的な経済政策として知られる「楽市楽座」(らくいちらくざ)が始まったのは、安土以前に拠点としていた「岐阜城」(ぎふじょう:岐阜県岐阜市)の城下町からでしたが、この政策が本格化したのは、織田信長が安土に入って以降になります。

織田信長以前の室町幕府の治世下では、「座」(ざ)と呼ばれる同業者の組合が市場における商い(あきない)の独占権を持ち、新規参入を阻んでいました。

「市」(いち)で行なわれる取引についても規制を設け、税を徴収する権利も保有。既得権の独占と言えます。織田信長は、楽市楽座によってこの古い体制に風穴を開けたかったのです。

具体的には、商工業の経済活動を織田信長が直接統制し、税の徴収よりも既得権益の打破を優先。その結果、市場には新規参入の商人達が増え、城下町の経済基盤は徐々に拡充していきました。

戦における勇猛果敢な姿だけでなく、領民の生活を第一に考えた先進的な経済政策を打ち出す姿も、織田信長が歴女をはじめとする歴史ファンから支持される理由なのです。

家臣団再編で天下取りへ

もちろん織田信長は、武力の拡充においても独自の発想で家臣団の形を進化させたことでも知られています。織田信長軍団の成立の背景からご紹介しましょう。

織田家がまだ尾張の一領主に過ぎなかった時代には、戦があると領民を集めて戦場に赴き、戦が終われば領民を農村に帰らせて、農業に当たらせるのが一般的でした。織田家のみならず、これは全国的に行なわれていたことです。

織田家の配下にあった尾張軍も弱小軍団として存在していましたが、天下統一をめざしていた織田信長は、なんとしても弱小の地方武士から抜けだそうと考えました。

そこで、領民達に職業軍人の地位を与えることを思い付いたのです。戦の素人である彼らを、即戦力に仕立てるために必要だったのが鉄砲でした。弓矢や馬術、日本刀など、従来の武器を使いこなせるよう鍛錬するには時間がかかるのですが、鉄砲であれば鍛錬の時間を短縮できたのです。

編成された織田家の軍団は目覚ましい活躍を見せ、最強軍団と謳われるようになっていきます。

小牧山城(小牧城)

小牧山城(小牧城)

こうした背景のもとで編成された織田家の家臣達は、織田信長が拠点を尾張の「清洲城」(きよすじょう:愛知県清須市)から「小牧山城」(こまきやまじょう:現在の小牧城:愛知県小牧市)へ移したときには、小牧山城下町への移住を命じられました。現代社会に例えるのなら転勤命令です。

そのあとも、小牧山城から岐阜城へ、岐阜城から安土城へと拠点を移すときにも、同じように移住を命じています。

その命令に抵抗して、居住地に残ろうとした者の家は焼き討ちにしたと言いますから、戦国時代の転勤命令はかなり荒っぽい状況でした。しかし、それによって安土城下の人口は増え、人々の生活を支える商工業も発展させることができたのです。

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生産地や流派によって様々な個性を持つ火縄銃・大筒をご覧頂けます。

宣教師の観た安土城下

ルイス・フロイス

ルイス・フロイス

当時、日本を訪れていたイエズス会の宣教師「ルイス・フロイス」が書いた「日本史」には、安土城下の記述が見られます。

そのルイス・フロイスが残した言葉は、織田信長好きな歴女ならずとも、日本人なら誇らしく感じられる高い評価でした。

建築史家の故「内藤昌」(ないとうあきら)氏の論文にある訳文を要約してご紹介しましょう。

「[町は]3年も経たないうちに新築され、途切れなく成長し、すでに約5km以上に拡張した。武士の家は、壁がすべて白く上塗りされ、内部には金箔を施した屏風が設えてある。何頭もの高価な馬がいる厩[うまや]は、非常に清潔で、娯楽室としても役立つほどだ。街路ははなはだ長くて広いが、1日に2、3度清掃される。

その上、この建築の名声と高貴さに引かれて外国の貴人や遠方から買い物に来た訪客などで賑わっている。これを見た者は、大いなる驚嘆の念を覚えるだろう」

豪壮な安土城に目を奪われたルイス・フロイス

天下布武の象徴として織田信長が人生を賭けた安土城とは、どのようなお城だったのでしょうか。ルイス・フロイスの日本史には、安土城の外観についても詳しい記述があります。

「織田信長は都から14レグア[ルイス・フロイスの母国ポルトガルでは、1レグアは約5km]の近江国安土山[おうみのくにあづちやま]に、その時代まで日本で建てられたなかで、最も壮麗だと言われる7層のお城と宮殿を建築した。

(中略)

壁と塀はおどろくほど高く、それに適した技巧で造られており、自然のままの石だけからできているが、切石と漆喰[しっくい]でできたヨーロッパの石造建築と同じように堅固で豪華だ」

そして、ルイス・フロイスをさらに驚かせたのは、安土城の内装でした。

「宮殿や広間の豪華さ、窓の美しさ、光を放つ金色と赤で覆われた木柱と鍍金[めっき]された数々の柱、食料庫の大きさ、庭園には多種類の低木と新鮮な緑があり、自然のままの岩塊と魚や鳥のための池がある。

塗装した黒い鉄が打ち込まれた扉、鍍金した枠の付いた瓦の屋敷が並び、周辺には鐘を備えた見張り用の砦もある。

きわめて広大な敷地からは、片側に大きい湖を望み、各種各様の船が往来している。別の方向には見渡すかぎりの田畑が開け、その間に多数の村落が点在している」

とりわけルイス・フロイスは、随所に使われた鍍金と、お城の内外をとりまく新鮮な緑に感動したようで、何度も言及してその素晴らしさを伝えています。そして、この報告文を載せた段落の最後は、「それらすべてに亘って格別の清純さが見受けられる」と結んでいるのです。

わずか6年で命運尽きた安土城

安土城 想像図

安土城 想像図

ルイス・フロイスの日本史の訳文を紹介した建築史家の内藤昌氏は、安土城の復元プロジェクトにも尽力した安土城研究の第一人者でした。

内藤昌氏の研究によって再現した安土城は、城址近くの「安土城郭資料館」(あづちじょうかくしりょうかん)に20分の1スケールで展示されています。

一方、「安土城天主 信長の館」には、1992年(平成4年)に開催された「スペイン・セビリア万博」に出典した安土城天主の5階・6階部分を収蔵・展示。こちらは安土城の一部分ですが、原寸大で再現されています。

この大迫力の安土城は、織田信長が本能寺で非業の死を遂げてから約2週間後に、何者かの手によって火が放たれ、焼失してしまいました。それを含めていまだ多くの謎が残る安土城ですが、今なお熱心な研究者達によって真実の解明が進んでいます。

想像力を駆使して織田信長の夢を追いかける

安土城と城下町の歴史を追ってきましたが、ここからは歴女のみなさんと一緒に、現代の安土を観ていきましょう。今は残っていない安土城を、安土山の上に再現するのは歴女ならではの想像力です。織田信長が描いた夢は、歴女の心にどのような感慨をもたらすのでしょうか。

幻の名城・安土城跡で体感する天下人の夢と野望

安土城 天主閣跡

安土城 天主閣跡

安土城は、標高199mの安土山にそびえる織田信長の最後の居城でした。

築城を命じられた「丹羽長秀」(にわながひで)が陣頭指揮を執り、1576年(天正4年)から約3年の歳月をかけて完成させています。

しかし、織田信長が「本能寺の変」(ほんのうじのへん)で倒れると、その直後に焼失。原因は、放火と目されていますが、落雷との説もあります。

現在は石垣が残り、安土山の南側にある堀が往時の姿を伝えるのみです。天主跡と本丸跡にも礎石が残り、二の丸跡には「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)が建立した「織田信長公廟」(おだのぶながこうびょう)が建っています。

安土城跡の入口には、幅広い階段状の大手道があり、そこをしばらく登ると、豊臣秀吉が住んでいたと伝わる屋敷跡に行き着きます。さらに進むと、織田信長以前のお城には観られない「枡形虎口」(ますがたこぐち)を備えた「伝黒金門」(でんくろがねもん)が姿を現し、天主跡へと続くのです。

安土城の天主台とされる苔むした石垣へとつながる城址の散策は、歴女のみなさんが織田信長の夢を辿る時間旅行と言えるでしょう。

400年以上に亘り安土城跡を守る摠見寺

摠見寺 仁王門

摠見寺 仁王門

安土城跡の大手道から「伝羽柴秀吉邸」(でんはしばひでよしてい)を抜けて左手に進むと、安土城築城に伴い織田信長が城郭内に建立させた「摠見寺」(そうけんじ)に出ます。400年に亘り安土城跡を管理してきた寺院。

安土城焼失時には延焼を免れたものの、その2年後に火災で本堂は焼け落ちてしまいましたが、仁王門と3重の塔は無事残り現存しています。

庭園を望む茶室があり、土・日曜・祝日には御抹茶と、住職手作りの羊羹が楽しめると人気。歴女のみなさんも安土の歴史に思いを馳せながら、足を休めてみてはいかがでしょう。

仏教史上に一石を投じた「安土宗論」の舞台

安土城築城時に織田信長が、対立関係にあった六角氏の菩提寺跡地に創建した寺院が「浄厳院」(じょうごんいん)です。このお寺は、仏教史上有名な「安土宗論」(あづちしゅうろん)が行なわれた舞台としても知られています。

安土宗論とは、織田信長の命によって行なわれた浄土宗と日蓮宗の教義上の論争です。織田信長は、他宗をそしり、ことあるごとに他宗と衝突する日蓮宗を抑えようとして、浄土宗側に有利な裁定を下したと言われます。日蓮宗側は処罰され、これ以後、他宗への法論を慎んだとのことです。

境内には、入母屋造(いりもやづくり)の楼門(ろうもん)や近江八幡から移された本堂、釈迦堂(しゃかどう)、鐘楼(しょうろう)などが建ち並び、威厳が漂う雰囲気。国の重要文化財で平安時代の作と伝わる木造の「阿弥陀如来坐像」(あみだにょらいざぞう)など見どころも多く、日本文化の変遷を旅する気分に浸れます。

滋賀県立安土城考古博物館

滋賀県立安土城考古博物館」(しがけんりつあづちじょうこうこはくぶつかん)は、「特別史跡安土城跡」、「史跡大中の湖南遺跡」(しせきだいなかのこみなみいせき)、「史跡瓢箪山古墳」(しせきひょうたんやまこふん)、「史跡観音寺城跡」からなる歴史公園「近江風土記の丘」(おうみふどきのおか)の中心となる施設です。

第1常設展示室では「考古」をテーマに、弥生時代から古墳時代の近江を解説。第2常設展示室は「中世・戦国時代」をテーマに、安土城を中心に城郭の変遷と併せて、織田信長の人物像を紹介しています。この博物館の周囲には、織田信長関連の施設やレストランなどもあり、歴女が巡る安土旅行の予習・復習には欠かせないスポットです。

歴女必見! 黄金色に輝く実物大の天主

復元された安土城天主

復元された安土城天主

焼失から400余年後の1992年(平成4年)、スペインで開催されたセビリア万博の日本館に安土城天主の最上部にあたる5階と6階部分が、原寸大で姿を現しました。

内部の障壁画なども忠実に復元され、世界の人々は驚嘆の眼差しでこれを見つめ、博覧会期間中には最多の入場者数を記録しました。

この天主を安土町が譲り受け、解体移築。新たに5階部分に、発掘された当時の瓦を焼き上げて再現した「庇屋根」(ひさしやね)や、天人の舞う様子を描いた天井を加え、6階部分には金箔10万枚を用いた外壁と、金箔の鯱(しゃち)を戴く大屋根が取り付けられました。

天主内部には、織田信長が「狩野永徳」(かのうえいとく)に描かせたと伝えられる「金碧障壁画」(きんぺきしょうへきが)を再現。「平成の安土城」として蘇った天主を観ることができます。

VR(バーチャルリアリティ)安土城シアターでは、約15分間のショートムービー「絢爛・安土城」も上映。現代のテクノロジーによって、安土桃山時代にワープしてみたい歴女におすすめです。

日本初のキリスト教神学校・セミナリヨ跡

1581年(天正9年)に織田信長の庇護を受けたイタリア人宣教師「オルガンチノ」が建てた日本初のキリシタン神学校跡。安土城が炎上した際に焼失し、現在は推定地が公園になっています。

安土城郭資料館

安土城天主復元模型

安土城天主復元模型

安土城郭資料館では、建築史家・内藤昌氏の研究に基づき、実物の20分の1の大きさで再現された安土城を展示。

外観は5層で内部は7階、屋根には金箔瓦が輝いています。

狩野永徳の襖絵(ふすまえ)や、異国文化の影響を受けた調度で飾られたお城の内部も再現された、安土城の豪華さを知ることができる貴重な展示です。

ローマの宣教師によって献上され、日本で初めて織田信長が飲んだと言われるローマコーヒーを味わうことができるので、歴史散歩の休憩スポットとして立ち寄ってみてはいかがでしょう。

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