歴女に人気の城下町

福島県の城下町・会津若松(会津若松市)

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白虎隊(びゃっこたい)の悲劇と共に語られることが多い福島県の「会津若松」(あいづわかまつ)は、どこか哀愁漂う城下町と思われがちですが、その歴史を辿ると東日本随一の華やかな城下町であったことが分かります。
貢献したのは、「織田信長」(おだのぶなが)から政治的才能を高く評価されていた「蒲生氏郷」(がもううじさと)や、江戸幕府の将軍達の相談役として重用された松平家の武将達でした。歴女に人気の高い「伊達政宗」(だてまさむね)や「上杉景勝」(うえすぎかげかつ)などが城主となった時代もあったのです。
城と町の名プロデューサーが次々にかかわった会津若松の歴史をご紹介します。

蒲生氏郷の故郷の杜にちなんで町名を変更

鶴ヶ城(若松城)

鶴ヶ城(若松城)

会津若松」(あいづわかまつ)には平安時代に仏教が伝来し、仏都(ぶっと:仏教の盛んな都市)として、また交通の要衝として栄えていました。

鎌倉時代になると、「陸奥国会津」(むつのくにあいづ)と呼ばれるようになります。

その当時の領主は「蘆名氏」(あしなし)。1384年(至徳元年)には、蘆名氏によって「鶴ヶ城」(つるがじょう)の前身である「黒川館」が建てられています。当初は小さな館でしたが、1543年(天文12年)には規模を拡大し「黒川城」に改修されました。

時代が戦国の世に突入すると、蘆名氏は「伊達政宗」(だてまさむね)と対立します。1589年(天正17年)の「磨上原の戦い」(すりあげはらのたたかい)で蘆名氏が敗れ、伊達政宗が会津を領有することになりました。

ところが、その翌年には、伊達政宗が「小田原の役」で「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)と対立してしまいます。この争いは、伊達政宗が豊臣秀吉に屈服する形で決着を迎え、会津の地は没収されてしまいました。

伊達政宗に代わり、領主として伊勢から呼び寄せられたのが「蒲生氏郷」(がもううじさと)。蒲生氏郷が入るまで、この周辺は黒川城下の町であることから「黒川」と呼ばれていましたが、蒲生氏郷は故郷の近江にあった「若松の杜」にちなんで町名を「若松」と改め、会津にあることから会津若松とも呼ばれるようになったのです。

城の改修に併せて愛称もリニューアル

会津若松は、磐梯山(ばんだいさん)や大戸岳(おおとだけ)などの1,000mを超える山々に囲まれていたものの、町そのものは標高の低い盆地の扇状地に位置していました。低い立地にある城では、どのように守りを固めるかが問題になります。また、扇状地では、河川の氾濫による大規模な水害にも備えなければなりません。実際、会津若松は何度も水害に襲われたことがあったのです。

蒲生氏郷は、まず周辺にある「向羽黒山城」(むかいはぐろやまじょう)を2年かけて改修したのち、黒川城の大改修に着手。そして、大規模な土木工事が必要となる、「惣構え」(そうがまえ)での町づくりを決断します。惣構えとは、城下町全体を土塁(どるい)で囲み、安全性を高めることです。

さらに、土塁によって町の輪郭が決まれば、都市計画も作り易くなります。惣構えで守られた会津若松の城郭内は、碁盤の目で町割りがなされ、武家を城の近くに置き、外堀の周りを町人の暮らすエリアが取り巻き、その外側に寺町が配置されました。この町づくりに際して、蒲生氏郷は向羽黒山城下にあった町を会津若松城下に移転させて人々の活力を会津若松城下に集約させ、町の求心力を高めています。

それに伴い、城下町の中心である黒川城の名も「若松城」に改めました。これが現在の鶴ヶ城の正式名称です。7層の壮大な天守を持つ城に変身したのを機に、蒲生家の舞鶴の家紋にちなんで、愛称は「鶴ヶ城」。また、会津にあったことから「会津若松城」とも呼ばれるようになりました。

会津若松の町と鶴ヶ城を見事に蘇らせたことで、蒲生氏郷は91万石の大名に取り立てられます。鶴が空に羽ばたくがごとく大出世を果たしたのです。

織田信長流の新風を会津に吹き込んだ蒲生氏郷

織田信長

織田信長

蒲生氏郷の故郷は、琵琶湖にほど近い日野でした。会津若松に転封(てんぽう:国替えのこと)となったとき、蒲生氏郷は故郷の近江や前任地の伊勢から商人や職人を呼び寄せ、城下町の経営にも手腕を発揮します。

蒲生氏郷が師と仰いだのは、織田信長(おだのぶなが)でした。

織田信長も自分の娘を嫁がせるほど、蒲生氏郷を信頼。「安土城」(あづちじょう)の築城では、蒲生氏郷にそのプロセスを見せて修行させたと言われています。

現代の七日町通り

現代の七日町通り

蒲生氏郷は、織田信長が始めた楽市楽座などによる先進的な城下町の経営も目の当たりにすることになり、大いに影響を受けました。

会津若松城下には、市の開かれる日が町名になった「七日町」(なぬかまち)が残っていますが、当時は三日町、六日町などもあり、大いに賑わっていたとのことです。

また、蒲生氏郷は漆器や酒造りなどの手工業も奨励しました。そうした先進的な治世が会津若松の発展の起爆剤になったのです。

蒲生氏郷の未亡人に豊臣秀吉が横恋慕!?

城下の都市計画で手腕を発揮した蒲生氏郷ですが、その治世はわずか10年足らずで終わりを告げます。豊臣秀吉と蒲生氏郷の間で何らかの確執が生じたと言われ、1598年(慶長3年)に宇都宮へと転封を命ぜられました。一説には、蒲生氏郷の死後、未亡人で織田信長の娘の「冬姫」に豊臣秀吉が横恋慕したのが原因であるとのエピソードも伝えられ、それを拒んで冬姫は自害したとも言われています。

蒲生氏郷が去ったあとは、織田信長の命により「上杉謙信」(うえすぎけんしん)の養子の「上杉景勝」(うえすぎかげかつ)や伊予国松山の「加藤嘉明」(かとうよしあきら)が領主となりましたが、会津若松が第2次高度成長期とも言える発展の波に乗ったのは、江戸時代に入ってからのことです。

徳川幕府の2代将軍「徳川秀忠」(とくがわひでただ)の隠し子だった「保科正之」(ほしなまさゆき)が、信濃(しなの)の高遠藩主「保科正光」(ほしなまさみつ)の養子になったあと、3代将軍「徳川家光」(とくがわいえみつ)の弟として正式に認められ、会津を与えられたのです。いわく付きの異母兄弟ではありましたが、徳川家光は保科正之のことを深く信頼していたとのこと。

将軍への忠誠心と共に発展へと導いた松平氏

保科正之は会津若松に入ると、家臣の俸禄制(ほうろくせい)や農村の統治、市場の振興、藩による漆や蝋の買い上げなどに次々と着手し、藩政改革を推進しました。また、信濃にいた頃に建福寺住職「鉄舟」より儒教を学んだ経験から、儒教道徳や幕臣として将軍家への忠誠心の浸透にも熱心に取り組みはじめます。そして、保科正之の子の「保科正容/松平正容」(ほしなまさかた/まつだいらまさかた)が3代藩主になったとき、松平姓と葵の御紋の使用が認められました。

松平正容は、朝鮮人参の栽培に成功した功労者でもあります。薬草研究に熱心だったようで、城下の別邸の庭園には薬草を植えていました。現在、その庭園は「御薬園」(おやくえん:会津松平氏庭園)と呼ばれ、公開されています。

9代続いた松平家には、幕府への忠誠心が受け継がれていきました。冬は雪に閉ざされる地域にあり、飢饉や財政難にも何度か見舞われますが、それを乗り越え、将軍の参謀として重用される家柄を確立していきます。

しかし、幕末には尊王攘夷(そんのうじょうい)派との重要な調整役である「京都守護職」を任されたがゆえに朝敵(ちょうてき)と見なされ、やがて「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)の原因を生み、「白虎隊」(びゃっこたい)の悲劇につながっていったのです。

会津若松の歴史に触れる名所めぐり

薬草栽培や手工業で活気ある町づくりを行ない、素晴らしい城下町をつくり上げた鶴ヶ城の歴代藩主達。その歴史に触れることのできるスポットをご紹介します。

赤瓦の天守は国内唯一

南走長屋

南走長屋

現在の鶴ヶ城の天守は、1965年(昭和40年)に再建された建物です。

2001年(平成13年)には、江戸時代の工法や技術を用いて、米などの食糧を貯蔵していた「干飯櫓」(ほしいいやぐら)や、表門を守り敵の侵入を阻止するために建てられた「南走長屋」(みなみはしりながや)が復元されました。

さらに2011年(平成23年)には、明治時代に解体される以前の「赤瓦」(あかがわら)へ葺き替えが完了しました。赤瓦の天守は、国内唯一。ぜひ歴女に訪れて欲しいお城です。

本丸には「茶室麟閣」(ちゃしつりんかく)が残され、それを見下ろす天守閣には貴重な歴史資料を展示した博物館が設置されています。

蒲生氏郷が愛した茶道への思いに触れる茶室麟閣

茶室麟閣

茶室麟閣

蒲生氏郷は、茶道を嗜んだ武将のひとり。千利休(せんのりきゅう)に師事したと言われています。

千利休は1591年(天正19年)に豊臣秀吉から自害を命じられてしまいますが、茶道の衰退を案じた蒲生氏郷が千利休の養子で跡継ぎと見なされていた「千少庵」(せんのしょうあん)を会津に呼び寄せ、かくまうのです。その際に鶴ヶ城内に建てられたのが、茶室麟閣。

蒲生氏郷は「徳川家康」(とくがわいえやす)と共に千家の復権に尽力し、その甲斐あって、1594年(文禄3年)になると千少庵は京都に呼び戻され、千家を再興しています。蒲生氏郷は、茶道の伝統を断絶から救った人でもあったのです。

しかし、1874年(明治7年)に戊辰戦争で会津藩が敗れると、鶴ヶ城が解体されることに。茶室麟閣も解体の憂き目に遭いましたが、密かに城外に移築し保存されていました。

そして、1990年(平成2年)、120年の時を経て再び鶴ヶ城内に移築復元。千少庵が自ら削ったと伝えられる床柱は、今も健在です。庭園に咲く様々な茶花を観賞しながら、お茶を楽しむことができるので、癒されたい歴女におすすめです。

城下を疫病から守る切り札は朝鮮人参!?

御薬園

御薬園

約600年前の室町時代、会津の領主だった蘆名氏によって建てられた別荘が、御薬園の前身です。

その後、貧しい農民達を疫病から守りたいと考えた2代藩主の「保科正経」(ほしなまさつね)が1670年(寛文10年)頃から園内に薬草園を設け、薬草の栽培に乗り出します。

それを受け継いだのが、3代藩主の松平正容。薬効がある朝鮮人参を植え、庶民の間にも広めていきました。のちに会津若松で作られた朝鮮人参は、長崎から中国大陸に輸出されるまでになります。会津若松藩にとって高価な朝鮮人参は財政を支える貴重な収入源となり、人参奉行所を設置し、その生産に力を入れました。

現在も約5,100坪の広さを持つ御薬園は、磐梯山や背あぶり山などの借景の美しさでも有名です。自然界の海や川、山や林などが池や水流、植え込みなどで表現されており、「小堀遠州」(こぼりえんしゅう)好みの回遊式大名庭園として国の名勝(めいしょう:国指定文化財の種類。芸術上または観賞上価値が高い土地のこと)にも指定されています。庭園の中心に広がる「心字池」(しんじいけ)とそれを縁どる四季折々の草花を愛でながら、のんびりと散策してみてはいかがでしょう。

武士の暮らしぶりを今に伝える「会津武家屋敷」

西郷頼母邸

西郷頼母邸

会津若松は、武士道においても秀でた藩として知られています。

歴女として、その面影を訪ねたいのであれば、幕末に会津藩の家老を務めた「西郷頼母邸」(さいごうたのもてい)がおすすめ。

ケヤキやヒノキ、スギなどを使用した豪壮な造りで、西郷頼母の生き方をそのまま表しているかのよう。

茶室や風呂場、台所など往時の生活が手に取るように伝わる場所も残されており、この会津武家屋敷から質実剛健を尊んだ武士の気分が味わえます。

白虎隊の少年も通った会津藩校「日新館」

日新館

日新館

人材育成に熱心だった会津藩が設置した幕末の藩校を復元。

10歳になると藩士の子弟はここに入学して文武両道を磨き、心技体の鍛練に努めました。

NHK大河ドラマで有名になった「新島八重」(にいじまやえ)の兄「山本覚馬」(やまもとかくま)や白虎隊の少年達もこの藩校の出身。

約8,000坪の敷地に武道場や天文台などが設置され、日本最古のプール「水練水馬池」があることでも知られています。弓道体験もできるので、一度挑戦してみましょう。

白虎隊と幕末の足跡をたどる白虎隊記念館

戊辰戦争で引き起こされた会津の悲劇を後世に伝える史料の展示館。白虎隊の他、最後の藩主となった「松平容保」(まつだいらかたもり)や、新島八重に関する記録、それらの人々とかかわりのあった新撰組の「近藤勇」(こんどういさみ)、明治時代にジャーナリストとして活躍した「徳富蘇峰」(とくとみそほう)など見応えのある史料を収蔵しています。

飯盛山に眠る白虎隊

白虎隊の悲劇は、あまりにも有名な幕末の物語。戊辰戦争で散った「白虎隊十九士の墓」が飯森山の麓にひっそりと並び、春と秋には墓前祭が行なわれて剣舞が奉納されています。

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